2024.08.20
2024.08.20
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
弁護士 尾藤 廣喜
広島と長崎に原子爆弾が投下されてから79年。今年は、改めていろいろと想(おも)うことの多い忌日となった。
被爆者の訴えは勿論(もちろん)のことだが、広島・長崎両市長の訴えが、心を打った。松井一實広島市長は、国際問題を解決するために武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていることに懸念を示し、改めて核抑止力に依存する各国の為政者に政策の転換を訴えた。また、鈴木史朗長崎市長は、冒頭に福田須磨子さんの詩を引用し、ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザへのイスラエルの攻撃を念頭に、核廃絶とともに真の平和の実現を強く訴えた。今年は、長崎市がイスラエルを式典に招待しなかったところから、米英など日本を除くG7とEUの大使が欠席したことが注目されたが、私は、真の平和の実現を求めるとすれば、ジェノサイドに等しいガザ攻撃を続けるイスラエルを招待しないということは苦渋の中での一つの決断として評価したい。
それにしても、岸田文雄首相の立場は、理解しがたい。「核兵器のない世界」の実現に向けて着実に取り組みを進めていくと言う一方、「核兵器禁止条約」については、オブザーバー参加も見送り、「アメリカの核」に頼り切って、軍事費を増強するなど、「着実な取り組み」と反対の行動を強めている気がしてならない。
被爆者援護については、さらに消極的だ。広島では、「黒い雨」裁判の判決結果を大きく後退させる被爆者健康手帳の交付基準を作り、被爆者が新たな訴訟を起こすしかない状態となっている。さらに、長崎では、広島と違って、被爆地域外に「黒い雨」の存在を認めず、「被爆体験者」は「被爆者」ではないという対応に終始している。原爆症認定訴訟についても、判決の到達点と大きく違った認定制度の運用が今でも続いており、大阪地裁で、新しい訴訟が提訴されている。
79年たった今なお、被爆者が訴訟を起こさなければ救済されないという状況は、是非(ぜひ)ともなくしてほしい。
びとう・ひろき氏 1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。