2024.08.26
2024.08.26
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
平等院住職 神居 文彰
先日、澁澤龍彦「私の一冊」の生稿を入手した。
最近だと彼の『高丘親王航海記』が漫画化され、不思議な焦燥感と耽美(たんび)的な展開により若者の間でも読みたい漫画1位となっている。当然澁澤の推(お)しはサド『悪徳の栄え』。サド裁判は63年前。彼はなにも暴力で相手にマウントすること(世界はケネディ当時61年前と何ら変わっていないのかもしれないが…)が目的なのではなく、楽しげで多様な生の表現が推しの理由であった。
私自身は、フランス哲学者ジル・ドゥルーズによるリゾーム(地下茎)的な着想が東洋的な仏教で云う「ご縁」に結びつくようで、好意的に捉えた推しの一つでもあるが、澁澤は嫌い、権力と思想による社会制度を説くミシェル・フーコーを好んだという。
いずれも、人の連接を社会と自身でどう向き合うかと云うことになろうが、現在ではそこに匿名的な呟(つぶや)きや生成AIによる排他的・人工的な言説がさらに混乱を助長する。
平安時代から近世初頭まで識字率はさまざまな研究でほぼ一致し10%程度である。読むのではなく聞くのである。『源氏物語』などは、女房が物語を読みきかせ主人である女御が絵物語を眼と耳で堪能したという記録もある。絵本漫画アニメ文化の走りであり、手紙や文書の類いも読解するばかりでなく、誰某のものであると崇拝し聖格化していく。文筆運びもその対象であろう。
現代では、物を読み伝えるということすら捩(ね)じ曲がり危ういのかもしれない…
戦争が激しさを増す昭和18年落語紙芝居研究所から画劇『紙幣の壺(つぼ)』という紙芝居が発行されている。幽霊が推しで出演する笑い話で時局へのガス抜きもあったのであろう。持ち運び袋には、「笑って勝ち抜かう!」と印刷されているが、現存のものには「笑って■■生き抜かう!」と手書きで黒塗り修正されている。
名も知らぬ読話手から、生きぬくという強い意志と、伝え続ける言葉の強さを確かに受け取った。
かみい・もんしょう氏
大正大学大学院博士課程満期退学。愛知県生まれ。1992年より現職。現在、美術院監事、埼玉工業大理事、メンタルケア協会講師など。