ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

リスナーとの交流大切に

2020.05.04

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音訳グループ「宇治リーディングボランティア」/会員 服部 畝美さん

URなどが使用している録音室で音訳の準備をする服部畝美さん。「声やアクセントの修正もパソコンでできるので便利になりました」と話す(4月22日、宇治市宇治琵琶・市立総合福祉会館)

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

 行政の広報紙や新聞記事など、有用な文字情報を読み上げ、CDに録音して視覚障害のある人たち(リスナー)に届けるのが私たち音訳ボランティアの役割です。

 宇治リーディングボランティア(略称UR)は結成から今年で43年。私は初年度から参加した一人です。年月を重ねるうちメンバーの異動も多く、今では私がグループ最古参の会員になってしまいました。

 私たちの音訳活動は、市広報の「宇治市政だより」から始まり、「社協だより」「市議会だより」などへ拡大しました。現在は43人の会員が4班に分かれ、公的刊行物のほか新聞や生活総合雑誌の拾い読みを希望に応じて届けています。リスナーさんとの俳句作品や投稿などを集めた「さわやかUメール」も続けています。

 創設以来、URはリスナーさんとのふれあいを、とくに大切にしてきました。年1回の交流会では、私たちがガイドヘルパー役を担当。視覚障害者団体主催の小旅行や行事に、有志で共に出かけることもあります。

 リスナーさんから「きょう聞いた市政だよりは、○○さんの声だったね」などと街で声を掛けられあいさつできることが、私たちの活動の原動力になっています。

 広島県の高校を出て学生時代を奈良で送った私は、放送やアナウンスに興味があり、京阪神の大学生でつくる「学生報道連盟」というグループに所属しました。街頭で録音取材したテープを京都市内のラジオ局へ持ち込み放送させてもらう活動は楽しみでした。東大寺二月堂のお水取りの録音をしたこともあります。

 ある時、取材で学内の点訳サークルの指導者に出会いました。大学の職員さんで人柄が素晴らしく、視覚障害のあるハンセン病患者さんに点訳書物を届けるなどの支援に熱心でした。私もそのサークルで点訳を始め、静岡県の国立駿河療養所へ仲間と足を運び、患者さんと交流しました。学生時代のこの出会いと経験が、後の音訳活動の原点となったのです。

 宇治に転居したのは35歳のころです。URには、市政だよりにあった募集広告を見て参加しました。43年間の活動を振り返ると、デジタル化で録音をテープからCDに切り替えたころが最も多忙でした。資金がなく、機材を調達するため公費や企業の助成を求めて必死だったことを思い出します。

 URを通じて結ばれる人間関係は、私にまた新しい世界を開いてくれました。長年のリスナーさんでもある今里弘美さんを中心に宇治で活動する朗読グループ「フィオリの会」に参加したのです。感情を込めて読む朗読は新鮮で、12人ほどの仲間と聴衆の前で発表する喜びを知りました。

 音訳と朗読を通じ、楽しくて頼もしい仲間ができたのは幸せです。これからもURで私にできることを続け、活動への支援の輪を広げたいと願っています。

はっとり うねび
1940年、広島県生まれ。大学時代に点訳ボランティアを始める。卒業後、教職に就き結婚、出産を経て宇治市に転居した2年後の77年、音訳グループ「宇治リーディングボランティア」(任意団体)に参加。これまでに3回通算6年、代表を務めた。宇治市南陵町。