ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

誰でも参加 つながり生む

2020.11.02

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京都ボッチャ協会会長/平木 新助さん

第1回京都ボーダレスボッチャ大会で審判を務める平木新助さん
(10月24日、京都市左京区・市障害者スポーツセンター)

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

 障害の有無や年齢、性別、国籍などの違いをすべて取っ払い、人々が地域で同じスポーツを楽しむことによりつながり合う。私は、それを「共生スポーツ」と名付け、いま京都ボッチャ協会の活動を通じ、その実践と普及に取り組んでいます。

 ボッチャはコート上に置いた白色の目標球を狙い、離れた場所から赤、青の球を投げたり転がしたりして、いかに近づけるかを競うスポーツです。1988年にパラリンピック公式種目になり、来年からは全国障害者スポーツ大会でも正式種目になります。

 パラリンピックに代表される障害者スポーツとしてのボッチャは、出場選手が重度の脳性まひ、または四肢機能障害のある人たちに限られます。私たち協会はボッチャを「共生スポーツ」と捉え、公式競技会を目ざす場合はパラボッチャ、競技者枠を限定しない場合はボーダレスボッチャと名付けています。

 私がボッチャに目を開かれたのは、京都府立南山城支援学校校長だった2015年です。全国の支援学校長が集まる会議で、講師の大阪府立大、奥田邦晴教授(日本ボッチャ協会代表理事)が、その魅力をお話しされたのです。

 聴いて心に響くものがありました。「競技選手になれる人は限られるが、だれもが参加できて対等に楽しめるのでは」。後日、奥田教授の研究室に押しかけ教えを乞うと、指導講師を南山城支援学校に派遣してくださり、ボッチャ講習会が実現。それを機に学年を問わず参加できる体制を整え、現在では支援学校同士の交流試合を開くまでになっています。

 校内外へボッチャを広めたのは「卒業後の生徒が、自立して地域で生きていくうえで最適のスポーツであり、人々とつながって交流する入り口にもなる」と感じたからでした。

 私は23歳で教職に就き、中学校や府立聾(ろう)学校で教える一方、生徒指導にも長く携わりました。不登校が問題になり始めたころには、臨床心理やカウンセリングを学ぶため大学への長期研修にも派遣していただきました。不登校の子どもは、まずこちらに心を開いてくれるよう、接点を見つけるのがカギ。ボッチャで一緒に球を転がすような場面をつくれば、それが接点になるかもしれません。ボーダレス競技の場に、耳の不自由な人が共に参加されれば、周りが自然に手話を覚える効果も考えられる。ボッチャは多様な可能性を秘めています。

 京都ボッチャ協会は、共生スポーツを唱える私や、競技として普及強化を目ざす京都障害者スポーツ振興会、それに地域貢献を図る企業さんらの思いが一つになり昨年、誕生しました。法人化など課題も多い中、ありがたいことに今秋、京都で初のボーダレスボッチャ大会を開催できることになりました。64チームがエントリー、11月21日が決勝です。地域へボッチャを広げていく契機となる大会にするつもりです。

ひらき・しんすけ
1955年、長岡京市生まれ。龍谷大卒。
78年、教職に就き宇治市内の中学校や京都府立聾学校などで勤務。2013年、府立南山城支援学校校長。同校で、生きる力を育む一環にボッチャ競技に取り組む。退職後の19年、京都障害者スポーツ振興会などと京都ボッチャ協会を設立。初級障がい者スポーツ指導員。