ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

「分かってほしい」理解する

2021.05.03

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社会福祉法人「一善会」/理事長 中川 宗孟さん

赤煉瓦の郷で施設長を務める妻、昌子さんと語り合う中川宗孟理事長(4月21日、近江八幡市船木町)

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

 折々に出会った多くの人に助けられ、近江八幡市に高齢者福祉施設を開設して22年になります。運営上の苦しみや悩みをほとんど知らず、何か大きな力に支えられている気がして感謝しながらの多忙な毎日です。

 一善会の最初の施設は1999年、近江八幡市に開設した「赤煉瓦(れんが)の郷(さと)」です。二つの特別養護老人ホーム(従来型と地域密着型)のほか、ケアハウス、デイサービスセンター、事業所内保育所、居宅介護支援事業所などの施設があります。2004年には同市安土町の、西の湖畔に「安土やすらぎの郷」を開設、ユニット型の特養ホームとショートステイを運営しています。

 両方の施設を毎日、行き来して高齢者の方々と接すると、認知症の程度にかかわらず「自分を分かってほしい気持ち」を、みなさん持っておられます。まずは受け止めてよく聞いてあげると、気持ちが通じ「分かってほしいのは、これか」と気付く。拒否や怒りの裏にもある「わかってほしい」を理解してあげるのが私たちの仕事。職員一同、常にそう心がけています。

 「赤煉瓦の郷」が建つのは、私の曽祖父が1883(明治16)年に始めた煉瓦工場(後の中川煉瓦製造所)の跡地です。煉瓦を焼いた「ホフマン窯」と高さ約30の大煙突が現存(国の近代化産業遺産、登録有形文化財)します。工場は1969年に操業を終え、約2万平方の広い工場敷地は70年代以降、空き地のままでした。

 私は工場が閉じる直前に大学を卒業。煉瓦とは無縁の仕事に就きましたが、跡地を引き継いだ家族として「煉瓦で長くお世話になった地元へ恩返しできる利用法はないか」「学校や病院はどうだろう」と話し合っていたのです。

 市から「特養ホームを」とお話があったのは97年ごろでした。介護保険制度が始まる前で、「自宅介護は限界」という家庭が増えていた時期。提案に応じ法人を設立して用地を寄付しました。難しい開設手続きや、敷地境界の確定などが、関係者のご支援、ご協力で実にスムーズに進んだのです。

 「安土やすらぎの郷」も同じでした。旧安土町の開設要請に応じ、土地を提供していただき実現しました。行政の方々や地主さんら、多くの篤志には今でも頭が下がります。

 福祉施設は、そこで働く人たちにとっても生きがいや自己実現の大切な場です。専門講師による定期講座を開き介護技術だけでなく、一般教養の習得にも努めています。腰痛などの職業病回避はとくに重要と考え、介助ロボットの導入も順次、進めていくつもりです。

 福祉の経験から、私は自分を生かしてくれている「土台」の存在に誰もが気付き、そこから学びを広げる「土台学」を提唱中です。将来は、煉瓦工場跡地の余地に、福祉や社会貢献を含めた土台学実践の教育機関を設け、人材を育てたいと願っています。

なかがわ・むねたけ
1934年京都市生まれ。明治大卒。証券会社勤務、保険代理店業などを経て98年、「一善会」を設立。近江八幡市船木町の先祖伝来の土地(煉瓦製造所跡地)を提供して高齢者施設を開設。2004年には、二つ目の特養ホームを同市安土町に開設した。