ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

心の叫びに応える場所に

2021.12.06

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フリースクール「てだのふあ」/代表 山下 吉和さん

「てだのふあ」は現在の教室が手狭になり、近く移転する。「広い場所で子どもたちの心も解放したい」と話す山下吉和代表(11月23日、彦根市銀座町)

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

 「学校へ行くのはあたり前。なぜ行けないのか」。子どもが不登校になると困惑した親御さんから、そんな言葉が聞かれます。でも待ってください。登校をあたり前とする価値観は、一度捨て去って「行かない選択」もあることに気付いてほしいのです。

 不登校はある日突然、誰にでも起こり得る心の症状です。全国の小中学生の不登校は昨年度、19・6万人(文科省調べ)に達しました。今の時代、人間関係や勉強など、子どもが学校を重圧に感じるきっかけは、いくらでもあります。

 傷つき、自信を失った子どもを、無理に行かせるのは命を削るのと同じ。心の内を、周りの大人が本当に理解しない限り問題は解決しません。しかし、閉ざされた心をじっくり解きほぐしていけば、学校復帰の道はおのずと開けてきます。それには、安心して身を置ける「学校でも家庭でもない第三の居場所」が必要です。

 「てだのふあ」(沖縄方言で、太陽の子)は、そんな居場所として昨年、彦根市内に開設しました。いま6~17歳の小中高生計20人が在籍。私と元小学校教諭の女性2人を中心に、私のかつての教え子や、滋賀大の学生ボランティアさんらも加え約50人が運営に参加しています。

 4年前の教育機会確保法施行で、フリースクール出席は、小中学校の出席日数に換算されるようになりました。「てだのふあ」は学校復帰だけを目ざすのではなく、発達保障と学習保障を基本に、勉強も遊びも子どもが決め、やりたいことがやれる場にしました。屋外に飛び出し湖や山、川などに親しむ月2回の自然教室は、活力回復に著しい効果が見られます。

 私が子どもの世界に目を開いたのは青年期に児童文学者、灰谷健次郎の作品を読んでからです。教職を志し、31年間の教員生活で不登校児にも数多く接しました。定年4年前に退職しましたが、苦しむ子どもたちの姿を思い、地域に根ざす形でもう一度子どもに向き合う決心をしました。

 「てだのふあ」開設の原点になった24年前の作文があります。作者は私が担任した不登校児K君(当時5年生)。作文は私が勧めました。「明日は学校に行く日だ。やっぱり行け行けと言われる。もう何を言ってもむだだ。もうぼくは死にたい。(略)ぼくは学校へは行きたいけど行く勇気がない。もうお父さんなんか死んじまえ(略)」

 まさに心の叫びです。「Kのことを、何も分かっていなかった」。読んだ両親は泣き崩れ、本当にわが子を理解する出発点になりました。その後、K君は学校に復帰。大学を出て就職、結婚を果たし、今では私たちの活動スタッフに加わってくれています。

 異年齢の子どもが集う「てだのふあ」は、お互いに自分をさらけ出して交流できるのが強みです。これからも、学校ではできない体験を通じ、生きる力を養い本来の自分を取り戻せるよう、スタッフ全員で寄り添っていきます。

やました・よしかず
1961年、長浜市生まれ。佛教大卒。87年、滋賀県教員となり佐和山小など彦根市内の小学校に年間勤務。「生活綴(つづり)方教育」に力を注いだ。県中央子ども家庭相談センター指導員を経て2020年に「てだのふあ」を開校。登山ガイド資格も持つ。彦根市銀座町。連絡先090(9099)4822