ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

会長職全う、経営の道へ

2022.07.04

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京都府母子寡婦福祉連合会/評議員(前会長) 東 美佐子さん

「苦楽あったけど、人生に悔いなし。母子寡婦福祉の活動は体力の限り続けたい」と話す東美佐子さん(6月22日、宮津市京街道の自宅)

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

 夫に先立たれ、36歳でひとり親になってから働きづめの毎日は今も続いています。幸い手に職があったので、夫の夢でもあった自宅を建て、2人の娘を育て上げることができました。

 支えになったのは京都府母子寡婦福祉連合会(府連)と、宮津市母子寡婦福祉会(宮津支会)での活動です。同じ境遇同士で助け合い励まし合い、生活向上と子どもの健やかな成長を目ざした日々は代えがたい経験です。両団体の会長に就き微力ながら職を全うできたのは、周りで支えてくださった方々のおかげと感謝しています。

 府連は、府内の母子寡婦福祉会など18の支会でつくる団体です。私はひとり親になってすぐ宮津支会に入会。44歳で会長に推され26年間務めた後、現在も副会長として活動しています。

 宮津支会の会長に就いた1994年、会は組織と会計の透明化が課題でした。帳簿を見ると生活貸付金が焦げ付き、会員数さえあいまいです。会計事務を委ねていた市に掛け合い、督促や損金処理を行って帳簿をきれいに整えました。

 会計が片付くと子育て支援、生活援助の活動に力を入れました。小さい子どもたちを会員宅などで預かるには、ヘルパーと子育て支援員の資格が必要で、会員に資格取得を奨励。私自?身、両方の資格を取り、今でも忙しいひとり親さんの子どもを自宅で預かることがあります。

 支会の主要な活動に、いきいきふれあい事業(レクリエーション)があり、中でも小旅行は人気が高く宮津からもよく出かけます。公費助成を伴うせいか、近年は「体験型」が奨励され、行き先にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)などの遊園地は避けられています。これは親子ふれあいの趣旨になじみません。子どもは遊園地が大好き。ひとり親は忙しく、ふだん連れて行けない所で楽しくふれ合うのがなぜいけないのか。関係者の方々に再考を願っています。

 宮津支会会長と並行して府連会長は4年間務め、京都開催となった2019年の近畿地区母子寡婦福祉研修大会では、役員全員で力を合わせ成功のうちに終えることができました。

 私の職歴は34歳で始めたミシン縫製の内職からです。表具師だった夫の仕事は側で覚え、夫の死後も注文に応じました。52歳からは縫製工場で裁断などのパート労働に従事。子どもたちの進学もあって一日を表具、ミシン、裁断のかけもちでフル回転する日々が続きました。

 昨年、縫製工場の社長さんが急死され、思いがけず私が後を継ぎ6月から工場を個人経営することになりました。夫に守られている気がして、ぜひ軌道に乗せようと心に誓っています。

 府連では、宮津支会を含め会員数が減り会員獲得は恒常的な懸案になっています。そうした課題と工場経営に今後、残る体力と気力を注ぐつもりです。

あずま・みさこ
1950年、京丹後市生まれ。26歳で結婚。子育て中の86年、夫の病死でひとり親となる。宮津市母子寡婦福祉会で活動を始め95年から2020年まで会長。この間、京都府母子寡婦福祉連合会で役員を務め16年から20年まで会長。21年、旭日双光章受章。今夏、勤め先の縫製工場を継ぎ個人経営者に就任。宮津市在住。