ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

女性差別への反発が原点

2023.07.03

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DV被害者女性支援、NPO法人「アウンジャ」/代表 岡本 カヨ子さん

ジェンダー平等などの啓発活動用に制作した紙芝居を手に、活動の将来を語る岡本カヨ子代表(宇治市内)

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

 「もう、家には帰りたくない」。二十数年前、ドメスティックバイオレンス(DV)の相談に来た50代の女性がもらしたひと言。その衝撃が、今も私を突き動かしているように感じます。

 女性の人権擁護と男女共同参画社会の実現などを目ざし、仲間たちと城陽市内にNPO法人「アウンジャ」を開設したのは2001年でした。DV被害者からの相談も引き受け、その第1号の相談者から出た言葉が「帰りたくない」だったのです。

 被害者の生の声を聞くのは初めて。「死ぬほどの苦しみなのだ」と悟り、以来、アウンジャにシェルター(一時保護所)をつくり、女性たちの自立を支援する活動を今日まで続けています。

 私がジェンダー平等に目覚めたのは、憧れた大学進学を諦めざるを得なかったのがきっかけです。「女が理屈っぽくなるのはよくない」。反対する父に従いましたが、胸の内の反発はずっと尾を引いていたのです。

 結婚して2人の子を育てていた30代後半のころ「女性差別の根を探りたい」と、宇治市の公民館講座「女性史を学ぶ会」に参加。少しずつ視界が広がり1995年、京都府による女性リーダー育成事業「女性の船」が企画した国際女性会議(北京)にNGOの一員で参加。初めてDVという用語と被害者の実態を知り驚きました。

 翌年には、府の女性海外研修事業で他の8人と共に豪州とニュージーランドへ渡航。豪州では訪問先の政府援助施設「女性健康センター」で、被害者女性らが自立へ向け共同生活を送る姿に、目を奪われました。

 「アウンジャ」は今、本拠を宇治市に移し、民家を借りて被害者のシェルターと居場所に充てています。保護した女性の多くは、心を病み疲れ果てた状態。母子の場合は、母親への暴力を目の当たり(面前DV)にした子どもも、心に傷を負い荒れて部屋を落書きだらけにすることもあります。

 しかし、シェルターで数カ月を過ごし、母親が気力を回復して別の住まいに移り働き始めると、子どもたちも別人のように落ち着きを取り戻します。時折り、子連れでここへ顔を出してくれる彼女たちは異口同音に言います。「もっと早くシェルターに避難すればよかった」。

 被害相談は電話でも受け、平日は朝と晩の二つの時間帯、土日も対応します。長い電話の後、「元気が出た」という相談者の言葉にいつも励まされています。

 アウンジャのスタッフはわずかで、常駐は私ひとり。一時保護の業務を受託している京都府を含め、各種団体の助成に頼る苦しい運営です。活動趣旨に賛同する支援者さんを募っています。

 将来に望むのは、自立を果たしたシェルター経験者たちが報酬付きでスタッフを務め、さらには共同でアウンジャを運営してくれること。女性支援の拠点を自分たちで守ってほしいのです。

おかもと・かよこ
1940年、京都市生まれ。京都大に勤務の後、宇治市に移りジェンダー平等の視点で女性史を研究。95年、北京の国際女性会議でDV被害の実情を知る。2001年、城陽市にNPO法人「アウンジジャ」を設立してDV/FV被害女性と子どもの救援を開始。第9回紫式部市民文化賞受賞。宇治市在住。