2024.06.03
2024.06.03
NPO法人「福祉広場」/理事長 池添 素 さん
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
年齢や性別、障害の有無に関わらず人が人として大切にされ、その人らしく生き、やりたいことを実現できるように。「福祉広場」は、そんな理念に基づき2006年から出発しました。
現在、児童発達支援(療育)と放課後等デイサービス、訪問看護ステーションなど五つの事業所を京都市内3カ所で展開。中でも、子育てや発達などの悩みに対応する福祉広場相談室は、原点となる取り組みです。
保育士志望の短大生だった私は、保育実習先の知的障害者施設(北区)で働くつもりでした。家族の希望で京都市に入ると、施設勤務を希望。重度の障害を対象にした入所施設(伏見区)で、ケア全般を担当しました。養護学校義務制の実施前で、入所者さんは教育権さえ持たず24時間を施設内で過ごす毎日。「子どもらしい当たり前の生活をさせてあげたい」との思いは募るばかりでした。
保育所や通所施設でも勤務するうち、子どもの福祉に関わってやりたいことが次々に出てきますが、役所では自由にできません。意を決し42歳で退職。仲間の言語聴覚士さんらと3人で、子育てのほかことばや発達支援など、あらゆる相談に乗る「らく相談室」(下京区)を開所したのです。
発達相談の場は子どもの年齢が高くなるほど減ってしまいます。相談は、その子どもを幼少からよく知った者が継続して担当することが重要で、私たちはその受け皿を目指したのです。相談室には薬物や若年妊娠など、深刻な相談も数多く持ち込まれました。
相談だけでは解決に至らないケースも多く、周りには療育の専門的関与が必要とされる子どもが急増。一方で障害者自立支援法の施行後、福祉事業に企業の参入が増え、収益重視で専門性を欠き質の劣るサービスも顕在化していました。そこで10年に開設したのが、児童発達支援事業所「ひろば」(北区)でした。
私はもともと、子どもたちの発達や子育てを支え、遊びを中心に集団で活動する療育に取り組みたかったのです。「らく相談室」で続けていた相談は、16年に福祉広場相談室に衣替えしました。
相談室で、いま最も多い相談は不登校問題です。私のアドバイスは、「焦らず子どもの力を信じて、自分の足で歩き出すまで積極的に待つ」。エネルギーを充填(じゅうてん)できるまで休むことで、登校につながるケースにたくさん出合っています。保護者向けには、自らの子育て体験も踏まえて書いた「いつからでもやりなおせる子育て」(かもがわ出版・01年)などを刊行し、私なりの方法を提案してきました。
福祉広場で働く職員は、いま25人以上。若い人に知ってほしいのは、支援の必要な子どもが育っていく過程をサポートする面白さや楽しさです。楽しく長く働き続けられる職場づくり、相談しやすい環境づくりが、これからの仕事と自身に言い聞かせています。
いけぞえ・もと
1950年、京都市生まれ。20歳で京都市職員に。若杉学園ほか福祉職場一筋に勤め93年に退職。立命館大講師。市保育園連盟巡回保育相談員。著書に「子どもを笑顔にする療育」ほか。亡夫は市民運動家の井上吉郎氏。