ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

美しいもの三つ

2024.09.10

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

イラストレーター・こどもみらい館館長 永田 萠

 中、高6年間を姫路城そばの女子校で過ごした。美術担任は洋画家として高名な飯田勇先生だった。初めての美術の授業は今でもよく覚えている。「全員、校庭に集合」。スケッチでもするのかと思うと、老先生はニコニコ笑って「はい、草むしり始め!」。

 にぎやかに騒ぎながら草むしりを楽しんでいると、「はい、終わります」。これで終わり?と思ったら違っていた。飯田先生は姫路城を指さして「あれは何?」と尋ねられた。みんなで「姫路城でーす!」と答えると「ちがう」。えっ?とざわつく私たちに先生は「あれは人間の作った美(び)」とおっしゃった。続けてそばの黄色のバラを指さして「これは?」「黄色いバラです…」と答えると「ちがう。これは自然の作った美」。きょとんとする私たちが次に聞いたのは「世界は美に満ちています。でもそれは見ようとしない人には存在しないのと同じ。君たちは美を見つけながら人生を歩みなさい」という静かな声だった。それから卒業までの美術の時間は「美!」と叫ぶ私たちの声に満ちていた。

 このように私は飯田先生から最高の美術教育を受けて、絵を描く人生を歩んできた…はずなのに、最近どうもおかしい。絵を描く気がおこらないのだ。目の前の忙しさに追われて、美を見つける心の視力が弱ってきているのでは?それは困る。そこで小さなノートに毎日三つ「美」を書きとめることにした。最初の1週間は順調だった。「小さな青い朝顔」「フジバカマの粟(あわ)粒のような白いつぼみ」「西山に沈む夕陽(ゆうひ)」などなど。ところがだんだん新しい美を三つみつけるのが難しくなってきた。そこで対象を自然から広げることにした。「アトリエで聞くサラ・ブライトマンの歌声」「地下鉄の中で見た文庫本を読む女子高校生の横顔」「寺田寅彦の随筆」…少しずつ視力が回復してきた。いつかノートを書き終えたら、秋空に向かって言おう。「先生、世界は美に満ちていました。これからも探し続けて暮らします」と。

ながた・もえ氏
出版社などでグラフィックデザインの仕事に携わった後、1975年にイラストレーターとして独立。2016年より京都市子育て支援総合センターこどもみらい館館長に就任。