ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

社会福祉法人「竹毛希望の家」理事長/芦田 ふゆ子 さん

2024.10.07

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「仲間と笑顔で」理念は不変

 母と一緒に福知山で、共同作業所「竹毛希望の家」を開設して、46年になります。学齢期を過ぎた障害のある人のほとんどが、日中の居場所、働き場所に困っていた時代、「仲間と笑顔で楽しく過ごせる場所を」と、母の自宅を改装して利用者さん3人でスタートしました。


 念願だった社会福祉法人認可を1988年に果たし、施設も福知山市提供の現在地へ移って新設。今は法人の「竹毛希望の家」が、障害福祉サービス事業所「ちくもう」を運営する形になりました。地域、行政はじめ多くの方々のご支援、ご協力には感謝の言葉しかありません。

 法人名の「竹毛」は、祖父の雅号です。市内にある篠尾(さそお)地区の字解から、竹と毛を合わせた造語で「篠尾の人」という意味です。幕末生まれの祖父は、苦学の末に長く旧制福知山中学校の教員を務め、退職後に淑徳高等家政女学校(現・私立淑徳高校)を創設しました。「感恩先苦」を座右の銘に、「世のため人のために尽くす」を実践する人でした。

「利用者さんが、いつも笑顔で活き活きと働ける場でありたい」と話す芦田ふゆ子理事長(福知山市昭和新町、障害福祉サービス事業所「ちくもう」)

 「ちくもう」は身体、知的、精神などさまざまな障害に応じる通所施設です。利用者さんは21~66歳までの30人余り。生活介護と就労継続支援B型の認可を受け開所以来、手仕事と物づくり中心の作業で、卒業生向けコサージュ(造花)や、織機を使いマフラー、ひざかけなども作っています。丁寧な仕上げに高い評価をいただき、例えばコサージュは昨年だけで約7000個を納入しました。
 祖父の薫陶を受け育った私の母は、夫の戦死を乗り越え40年余の教員生活を終えた後に「身体が不自由な人の役に立ちたい。このままでは死ねない」と発心。65歳で共同作業所の開設を実行したのです。私は子育てに専念中でしたが、夫の賛成もあり仕事と育児の両立を目標に母と作業所へ通い、利用者さんと腱鞘(けんしょう)炎になるほど造花のバラ作りに励みました。資金苦に悩みながらも、みんな和気あいあいで楽しい作業所でした。 学生時代に、生活困窮世帯の中学生を支援する学習ボランティアを経験した私にとって、祖父の教えを守り母の手助けするのは自然な成り行きだったのです。


 草創期から半世紀近くたつ間に施設は、水害に続きコロナ禍という災厄に見舞われました。陶芸作業を廃止するなどの影響はありましたが、幸い造花など主製品には全国から注文が続き、危機を切り抜けることができました。


 これからの「ちくもう」は、通所サービスを続けながら、居宅や短期入所、移動サービスなど他の福祉サービス事業者と連携して障害のある人たちが、住み慣れた地域で、安心して過ごせるよう応援したいと思います。「命を大切に、いつも笑顔で活(い)き活(い)きと仕事ができ、楽しく過ごせる場所を」という私たちの理念は不変です。命ある限り、祖父と母の精神を引き継いでいくつもりです。

あしだ・ふゆこ

1944年、福知山市生まれ。神戸大卒。淑徳高に国語教員として勤め、結婚で大阪へ移った後の78年、福知山で実母と共同作業所を開設。10年後に法人化した。2008年からは法人と、障害福祉サービス事業所「ちくもう」の理事長、施設長を兼ねる。市教育委員なども歴任。福知山市在住。