ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

人は気づかずに人を傷つける

2024.10.14

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

もみじヶ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎

 誰かの言葉に傷ついた経験のない人はいないでしょう。私も大昔に言われた言葉で頭にこびりついて離れないものがたくさんあります。いくら忘れようと努力しても無理なのだから、本当に困ったものです。

 そこで皆さん、よく想い出してください。忘れられないほどに酷な言葉を言われた状況はどうでしたか。その相手は皆さんを故意に攻撃しましたか。あるいは、悪意むきだしでののしってきたでしょうか。

 おそらく違うだろうと私は推察します。なぜなら、そういう場合には、皆さんは強い怒りを相手に向けるからです。相手が突き出してきた槍(やり)先を反転させて、逆に相手を突き返すイメージになります。



 明らかに敵対的な言葉には怒りで応戦できるから、意外と傷つきは少ないのです。最も心が傷つくのは往々にして、相手にまったく悪意がない他愛(たわい)のない言葉や、むしろ「良かれ」という善意から発せられる言葉です。こちらはひどく傷ついているのに、相手にはその自覚がありません。怒りという対抗手段を封じられているから槍先は反転せずに、いっそう自身を突き刺し傷は深くなります。こうして、加害者が全くあずかりしらぬところで被害者が塗炭の苦しみを味わうという悲劇が起きます。

 何十年も前の些細(ささい)な会話を不意に持ち出され「時効だから言うけれども、あの言葉には実は心底傷つけられた」という恨み節の告白で仰天したことのある方も少なくないと思われます。言葉には「話し手の意図からずれたメッセージとして聞き手に伝わりうる」という怖さがあるのです。


 何十年も前の些細(ささい)な会話を不意に持ち出され「時効だから言うけれども、あの言葉には実は心底傷つけられた」という恨み節の告白で仰天したことのある方も少なくないと思われます。言葉には「話し手の意図からずれたメッセージとして聞き手に伝わりうる」という怖さがあるのです。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。 1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。