ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

これでいいのだ

2024.10.21

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

 「君は教師の子だから誰にも迷惑をかけずに生きなさい」と言われて来たのが私の学生時代。住職である父が亡くなり、後継者として期待された兄が引きこもりになり、「最後の頼みの綱はお前だ」と、母(教師)の勧めで大谷専修学院へ入学しました。常に仏教の教えが生活に染みついた仲間とは馴染(なじ)めず、私は劣等感の中で生きていました。


 ある日、寮での学習会を無断欠席し、さらには門限を破ってしまったのです。皆が寝静まった頃、おそるおそる寮の扉をあけると、師は私の帰りを待っておられました。私は「研究発表の資料を集めに歩き回っていたら今の時間になりました」と嘘(うそ)をついたのです。

 師は微(ほほ)笑みながら「俺もな、学生時代は本当に苦しかった。立派な住職にならなければと賢い自分を作り上げていたけど、親鸞聖人の『われらは善人にあらず、賢人にもあらず』の言葉に救われたものだ。妙慶よ、私たちはこれからも迷惑をかけながら生きる凡夫の身だ。お世話になりますとお互いに頭をさげて生きていこう。ともあれ『お帰り』」と一言残し部屋に戻られました。怒られることで反省をしたかもしれませんが、逆に師が私を責めることなく「共に迷惑をかける凡夫の身」とおっしゃった言葉に救われました。


 漫画家の赤塚不二夫さんの葬儀に、弟子は「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表しています。すなわち、『これでいいのだ』」と弔辞を読まれました。


 幼少の頃から言われ続けた「迷惑をかけるな」から「迷惑をかけながら生きている」と頭が下がったとき、このままの私を謙虚に生きていけばいいのですね。「あなたも私もこれでいいのだ」と。

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。