ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

被団協にノーベル平和賞

2024.10.29

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

弁護士 尾藤 廣喜

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が今年のノーべル平和賞を受賞するとは全く予想外で、本当にうれしいことだった。
 フリードネス委員長が明らかにした受賞理由には、「核兵器のない世界を達成する努力、また本人たちの証言を通じて核兵器が二度と使われてはならないということを身をもって示してきた」「徐々に力強い国際的規範が発展し、核兵器の使用は道徳的に容認できないとの悪の烙印(らくいん)を押し、〝核タブー〟として知られるようになった」ことがあげられ、まさに、1956年の被団協設立以来の活動を正しく評価したものだった。


 箕牧(みまき)智之代表委員が、涙を流しながら「夢のようだ」と発言されたことは、そんな思いにあったと思う。


 82年6月に国連本部で被爆者として「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた山口仙二さん、背中一面に火傷(やけど)を負いながらその痛みに耐え核廃絶を訴え続けた谷口稜曄(すみてる)さん、被爆者相談や原爆症訴訟の支援に全力をあげた伊藤直子さん、そして、核廃絶運動と被爆者救済に全力を注いだ池田眞規(まさのり)弁護士などが存命であったならば、どんなに喜ばれたことだろうか。

 その中でも、いつも柔らかな表情ながら、原爆被害の国家補償と核兵器廃絶を強く国に求め、国際的にも訴えてきた代表委員の田中熙巳(てるみ)さんが、受賞の記者会見で、石破茂首相の核抑止力の強調、「核共有」の主張を厳しく批判し、さらに「原爆の実態を伝えていく」と訴えられたことは、まさに「被爆者の心」を代弁されたものだ。

 受賞の記者会見の際に、若い世代の代表が同席していたことも、運動の若い世代への手渡しが確実に行われていることを示し、これまた頼もしい限りだった。

 日本被団協には核廃絶に向けて、まだまだ活躍をしていただきたい。

びとう・ひろき氏
1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。