2024.11.04
2024.11.04
伴侶亡くした孤独語らう
長年、連れ添った伴侶を亡くし、一人残された者の心に空いた穴は、簡単には言い表せません。「腑(ふ)抜けNO会」は、そんな境遇に置かれた者同士が集まって6年前に結成しました。
呼びかけたのは私です。妻の千代野は、無酸素脳症を発症して心身に障害が残り20年間、私が在宅で介護を続けたのですが、20216年暮れに69歳で突然、この世を去りました。
子どもたちは独立して夫婦2人の生活でした。茫然(ぼうぜん)自失の私に、葬儀の席である人が声をかけてくれました。「富田さんには仕事もあるし、腑抜けにはならんよね」。
「腑抜けNO会」の名称は、そこから付けたのです。NOは「ノー」。悲しみや喪失感を、みんなで克服していく決意を込めました。
夫婦はどちらが先に逝っても苦しむのは、残された方です。いつまでも落ち込まず「伴侶との別れは、自分が人生の第2ステージに移り自由な時間を与えられた」と考え、前向きに生きるかどうか。残りの人生を過ごすうえで大事なポイントです。
会の結成は話題になり、一度に100人ほどの入会希望が集中。新しい伴侶を探す人、癒やしを得たい人…と、動機はさまざまでトラブルも起こりました。コロナ禍で活動が一時、縮小したころ、会の趣旨に沿わない伴侶探しはなくなり、会員も60代から90代までの約50人に定着。女性が全体の3分の2を占めるようになりました。
現在の活動は、外での食事や名所探訪、映画などを楽しむ「親睦イベント」と、結成時の趣旨である「孤独、悩みの語り合い」の2本立て。「住所録は渡さない」「活動時間は日中に限る」などの基本ルールを定めています。
妻が病気と闘った20年間、私は京都から職場がある神戸への往復と介護の両立で毎日、分刻みのスケジュールを強いられました。ハードな日々でしたが、福祉・介護の制度と実態を知る貴重な経験でした。
勤務先が旅行会社だったので仕事では国内やベトナムなど海外旅行のプランづくりと添乗に専念しました。そんな経歴がいま、会員への暮らしのアドバイスや、交流イベントの計画づくりに大いに役立っています。
会員の高齢化が進む中で、次に取り組みたいのは、グリーフケア(遺族サポート)などを行う他団体との交流。会の現状に満足せず、新たな活動のあり方を探るため、他団体との情報交換を通じ答えを見つけたいのです。会員の終活援助として、血縁を越え友人らとともに一つの墓に入る「共同墓」の利用も模索中です。安価なのが利点で、各地に実例があります。思いを共にする仲間たち。一人残された老後が、より豊かになるよう支え合いたいと願っています。
とみた・ひでのぶ
1950年、佐賀県生まれ。同志社大卒。日本ベトナム友好協会京都支部事務局次長。広告会社を経て神戸の旅行会社に勤務中、妻が病気で倒れ20年間、仕事と介護をかけもち。妻を看取り2018年、「腑抜けNO会」を結成。南区の自宅が事務局090(3671)4543