ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

お誘い上手の(元)田中さん

2024.11.12

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

平等院住職 神居 文彰

 東寺道にあった食堂「殿田」が60年目の先月閉店した。前日まで変わることなく笑顔で営業していたという。京風たぬきうどんは柔らかく口に馴染(なじ)み、入洛(にゅうらく)の友人らとも時折利用し、カウンターのおいなりさんもよく頂いた。近年では並ばずに入店出来ればラッキーという日も多かったが本当にお疲れ様でした。隣にあったゲームセンターはコロナの最中に一度閉店した。近くには多彩な新規店舗も並び大きく様変わりする前兆なのであろうか。


 今年に入り多くの同輩が他界した。タイトルの「(元)田中さん」という表記は汎用(はんよう)的な仮称で、すでに浄土住人であり人でない存在なので、(元)と付けた。


 彼らとは、毎月取っておきの店を披露しあい舌鼓を打った。目黒のトンカツ店、洋菓子舗のパフェ、乱歩が贔屓(ひいき)にした神保町の天ぷら店、カレー屋など、今思うとどこか昭和文豪シリーズのようでもある。太宰治が愛した銀座の「資生堂パーラー」は残念ながら近くにはなく、金比羅宮境内にある店へ汗だくで飛び込んだこともある。


 プッチーニ作のオペラはカフェに集まった人々の中で恋の駆け引きが始まり、宝塚歌劇団のミュージカル「エリザベート」では、ハプスブルク王家滅亡となった革命の契機は酒場と牛乳である。


 閉店しても京都では洋食「コロナ」「とんかつ処おくだ」など有志の力で継承を模索したところもある。

 閉店の理由は土地継承が難しくなったということ。


 京都は親家族での切り盛りで疫病禍も乗り切ることのできたお店が少なくないが、現在、跡をどうするかということやインバウンド7割という現実が、この国と都市をどのように変化させていくのか。少なくとも国内の方々や次世代がここで楽しむことが出来る環境が必要であろう。


 現在休館中の「山の上ホテル」を愛した池波正太郎はチップの重要性を語っていた。カード決済では、対価以外の関係を産み出す余地はない。金銭以外の笑顔と人との結びつきである。

かみい・もんしょう氏
大正大学大学院博士課程満期退学。愛知県生まれ。1992年より現職。現在、美術院監事、埼玉工業大理事、メンタルケア協会講師など。