2025.01.13
2025.01.13
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
ある家庭内の出来事です。A「自分が食べたお茶わんくらい洗ってよ。利己主義ね」。B「お茶わんくらい後でやればいい、文句ばかり言うな」。この一言で大げんかになりました。
なぜでしょうか?それはお互いを「理解できないまま」に相手を指摘し合うことで終わってしまったのです。Aは「お茶わんを洗ってこそすっきりして安心する」という目的があります。
しかしBからの「そんなのは後でいい」という一言で目的が失われてしまうのです。一方、Bの目的は今すぐ出かけるということなのでしょう。しかしAの「利己主義」という言葉に腹が立ちけんかになってしまうのです。
ある方が「私は説明が下手なので話し方教室に入ろうと思うの」とおっしゃいました。伝え上手がコミュニケーションを高めているとは限りません。むしろ自分の話しばかりして相手の話しを聞かない人こそが他者と衝突してしまうのです。
「人の悪き事はよくよく見ゆるなり わが身の悪き事は覚えざるものなり」(蓮如上人)
ある時、お寺に来ては人の悪口ばかりいう人がいました。老僧は「このバケツにいろんな大きさの石を集めてください」とお願いします。さっそく境内にあるいろんな石を集めてきました。老僧は、「集めた石を一つ一つ、元の場所へ戻しなさい」と言います。すると「石のあった場所を覚えているわけではない」と激怒したのです。老僧は、あなたは人の「わろきこと(悪いところ)」には気付きますが、石の場所を覚えてないように自分のしたことを覚えてないものなのですね」とおっしゃったのです。
どうか、AとBは、指摘し合うだけではなく、「お疲れさまやね。後でお茶でも飲もうね」と「お互いがこの家で落ち着く」という目的におさまったらいいのですね。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。