ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

NPO法人びわこダルク施設長 猪瀬 健夫さん

2025.03.03

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依存症の悪循環 断ち切る

 「薬物による一度の快楽のために、そこから先の人生すべてを差し出していいのですか」。中学、高校生に、依存症の恐ろしさを理解してもらう講演で、私が必ず投げかける言葉です。


 

 薬物やアルコール、ギャンブルなどの依存症に陥った人のほとんどは「いつでもやめられる」と信じ込んでいます。一度の誘惑に負け、脱け出せなくなるのが依存症です。実は意志の強い人ほど「やめられる」との思いが強く、極限の泥沼でもがき続けます。覚醒剤の常習者だった私が泥沼から完全脱出できたのは25年前。それでもいまだに覚醒剤の夢を見るのです。


 依存症の悪循環はどうすれば断ち切れるのか。それは、自力では薬物などをやめられないことを正直に認め、誰かに「助けて」と声を上げること。中には一生「助けて」を言えない人もいる。若い人に伝えたいのは未来を台無しにしないよう「誘惑の入り口に立ったら絶対に引き返せ」ということなのです。


 

 ダルクは1985年、薬物依存症経験を持つ近藤恒夫氏(故人)が東京に開設しました。現在は国内外に約100施設を展開。依存症の仲間たちが集まり、支え合って社会復帰を図る全寮制施設として活動しています。


 2002年に開設されたびわこダルクの仲間はいま12人。毎日3回のミーティングを通じ「今日一日、薬(依存)をやめる実践」を日々積み重ねています。自治会はじめ地元の方々に温かく迎え入れていただき、祭礼や防災訓練などを通じ交流を絶やさぬ関係を築けたのが、活動の大きな支えになりました。

「薬物などの依存症は、素直に『やめられない。助けて』と声を上げるのが回復への第一歩」と話す猪瀬健夫施設長(大津市丸の内町、びわこダルク)

 高校で覚醒剤を覚えた私は、腕利きのペンキ職人として働いた時期もありますが、覚醒剤が手放せませんでした。果ては暴力団に追われ、愛する妻にも去られ、やっと「やめられない。助けて」の声が出たのです。病院に入り医師から告げられたのが依存症の診断。32歳でした。
 医師に沖縄ダルクを紹介され行ってみると、命が助かった安心感に加え「俺って生きる価値があるかも」と希望を持てました。失敗しながらも各地のダルクで回復プログラムに取り組むうち、職員として仲間を援助する役割を与えられたのです。


  ダルクでは、仲間同士で自助グループを組み、退寮してもミーティング参加を促すなどのケアを徹底しています。自立や社会復帰には当事者家族のプログラムも欠かせません。私はびわこダルクで、のべ250件以上の支援相談を受けてきましたが、子離れできない親御さんが多すぎます。依存症は愛情を持って突き放さない限り、回復はありえません。

 次の10年は、地域や行政への恩返しに、社会復帰する寮生を1人でも増やすつもりです。プログラム充実を怠らず、相談は常時、受け付けています。077(521)2944、家族会090(5656)7955

いのせ・たけお

1964年、東京都生まれ。高校時代に覚醒剤を覚え、戸塚ヨットスクールに入るが、薬物事件で大学を除籍される。96年、薬物依存症と診断され、回復施設「沖縄ダルク」に入寮。覚醒剤を絶ち2001年、仙台ダルク寮長に。翌年、びわこダルク開設に参加、施設長に就く。滋賀県薬物依存対策部会委員などを経験。大津市在住。