ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

「社会保険」の意義

2025.03.31

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

弁護士 尾藤 廣喜

 今年1月、2年間にわたって高額医療費の患者負担上限を3段階で引き上げるという問題が浮上した。この制度は、医療保険の自己負担額が一定の額を超えた場合、超えた額を保険から給付する制度で、1973年から制度化された。今回の引き上げ案は、例えば、年収が約650万円から約770万円の人の場合、月額約8万円の負担が月額約13万9千円に増額されるとの内容になっていた。厚生労働省は、この引き上げによって保険料負担が3700億円削減されるとしているが、その反面、高額な医療費の自己負担を余儀なくされるがん患者や難病患者から、これを支払えず、治療をあきらめざるを得ないとの批判が続出。3月7日、石破首相は、この引き上げの「凍結」を表明せざるを得なくなった。


 もともとこの制度は、人工透析医療の自己負担額があまりにも多額であるため、「人工透析を断念し、死を覚悟した」とか「人工透析を受けている子どもが、家族に迷惑をかけたくないと家出した」とかの悲劇が相次ぎ、医療保険の機能不全が言われ、当事者団体の運動の結果生まれた制度である。



 一方、当時、厚生省(現在の厚生労働省)に勤務していた私からすれば、制度発足に至る内部の議論も明らかにしておく必要があると思う。

 それは、人工透析の自己負担分が収入を上回った時に、生活保護の医療扶助を適用して医療費の全額公的負担を行うことができるが、生活保護利用者でない人は多額の自己負担を余儀なくされるという制度矛盾を解決するために制度化されたという側面である。つまり、医療保険の給付内容の引き上げは、生活保護制度との逆転現象の発生を防ぐため、医療保険の社会保険としての機能を高める目的での制度化だったのだ。

 その面からすると、今回の引き上げは、重篤な人の医療を公的責任で支えるという「社会保険」本来の意義に逆行する。

 「白紙撤回」こそが必要だ。

びとう・ひろき氏
1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。