ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

恥をかける関係

真宗大谷派僧侶  川村 妙慶



私は、今日まで生きてきて「人間は理解し合えない」ということを痛感しています。相手の胸の辺りに電光掲示板で「私は今、こう思っています」と流れたらわかるのでしょうが、人間は本心を「面(つら)」で隠すことができます。

先日、相談者から「親鸞聖人は何を教えてくれるのですか」と聞かれました。私は「共に悩み、生きるということを教えてくださいます」と返事をしました。彼女は「共に? だったら一緒に死んでよ。もう苦しみに耐えられない」と。私は僧侶として気のきいた言葉をかけただけで、彼女に何も響かなかったのです。

私は師から「人間の大きさというのは、知識や才覚にあるのではない。君がどこまで他人の言葉、人生に出合っているかだ。目の前の人からとことん恥をかかせてもらいなさい」と言われたことがあります。私は勉強して自信をつけることで誰からも頼られる大きな人間になろうとしていました。師が「とことん恥をかきなさい」とおっしゃったのは「わが計らいで相手を変えることはできない。自分では力及ばないことを悲しんでいくことしかできない」ということなのだと。

私は彼女に「ごめんね。私はあなたに何もできない。あなたの声で私の思いあがりを思い知りました」と頭を下げました。すると彼女は「こんなことを言うから皆に嫌われるの。でも妙慶さんが衣を脱いで『ごめん』と言ってくれた時、はじめて『私の方こそごめん』と感じたよ」とおっしゃったのです。

私たちは恥をかきたくないために安心材料(権力、肩書)を身につけようとします。ある時はうそや言い訳をしてまで自分を守ろうとします。それが強くなりすぎると理解し合えないのでしょう。そうではなく、「私は何もわかってなかった」と恥をかくことで、相手は怒りをしずめてくれるのではないでしょうか。

それが、親鸞聖人がお教えくださる「凡夫(ぼんぶ)の自覚」なのです。コロナ禍の中、せめて家庭の中に恥をかける関係を持ちたいですね。



かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。