ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

泣けばあしたは晴れになる

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎



ドイツ語のトラウアーという名詞は日本語の「悲しみ」と「喪」の二つの意味を持っています。トラウアーの二義性が示唆しているのは「悲しむ」という行為が「悲しみを消化して先へ進む」行為(喪)でもあるということです。

人は悲しむことで悲しみを克服することができ、これはうつ病臨床と深く関わっています。悲しんだり泣いたりしている患者さんは軽症の場合が多く、「悲しいという感情がなくなった。涙が枯れてしまった」と訴える患者さんは重症の場合が多いです。前者には残存している「悲しむという自己回復力」が、後者では完全に失われているのです。治療の緊急性が高いのは当然後者になります。高名な精神科医シュルテの「うつ病の核心は悲しめないことにある」という言葉の真意は以上の説明でご理解いただけると思います。

さる3月11日、東日本大震災10周年追悼式がコロナ感染対策として規模を縮小して各地で開催されました。家庭で営まれる法事やお盆と同様、このような追悼式が節目節目に行われるのはなぜか。故人の霊を慰めるためというのは確かにそうでしょう。

しかし追悼を本当に必要としているのは故人ではなくむしろ遺族です。遺族は故人を思い出し悲しみの涙を流すことで、愛する人が亡くなったという現実を受容し自身を納得させ、足を前に進めていくことができるようになります。思い切り泣くからこそあしたへの希望が生まれるという「悲しみの健康的側面」を忘れてはなりません。人の悲しみをすべて悪しきものと見なし躍起になって取り除こうとする治療は間違いなのです。

悲しい時には泣くのが一番。泣くことを我慢してはならないのです。泣くべき時に精いっぱい泣いておかないと、うつ病に罹患(りかん)するなど心の健康を損ないかねません。今夜泣くだけ泣いたなら、あしたはきっと晴れになり、朝の日差しが進むべき道を照らしてくれるでしょう。


しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。