ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

己を知るに謙虚たれ

もみじケ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎



皆さん、紙とペンをご用意ください。そして、皆さんご自身の長所と短所をできるだけ多く具体的に紙に記入してみてください。次に、ご家族やご友人など皆さんのことをよくご存じの方に頼んで、その方が皆さんの長所と短所をどのようにとらえておられるのか、正直に紙に書いていただきましょう。そして最後に、皆さん自身が書いた紙と近しい方に書いてもらった紙の内容を比べてみます。

おそらく合致部分は多いでしょうが、完全に同じではないはずです。意見の違う点は必ずあって、予想外の評価にショックを受ける方もおられるかと思います。この実験から重要な教訓が二つ得られます。

まず一つ目。皆さんの長所短所について、皆さんご自身の認識と人の認識のどちらが本当なのか。正解は「どちらも本当」になります。人の性格やふるまいは角度によって見え方がさまざまです。長所短所を含む人間の特徴は立体的で時々刻々変化します。「本当の自分がわからない」や「自分探し」という言い方がしばしばなされますが、本当の自分はいろいろな側面を備えながら常にそこに存在し、周囲との相互作用で絶えず姿を変え続けています。「これとは違う本当の自分がどこかにある」という虚妄は心を空転させるだけです。

そして二つ目。人間の性格やふるまいには本人には絶対見えない部分があるということです。人間は自分に関する認識を自分に都合よく無意識に作り変える生き物です。「そんな自分が許せない」という悲嘆から「自分はそうではない」と否認し「自分はそうありたい」との願望から「自分はそうである」と確信する。こういった人間の思考バイアスを素直に認める謙虚さがなければ心の病からの回復が阻害されます。

「自分のことは自分が一番わかっている」は大間違い。患者さんの視点のみや治療者の視点のみでは決して見えない実相も、両者の対話を通じてなら浮かび上がり得ます。ここに精神療法の極意があるのです。


しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。