ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

イラッとくる

真宗大谷派僧侶  川村 妙慶



「言う事を聞かない子どもにイラッとして首をしめたくなります」とメールが届きました。凶暴な言葉の奥底にはどうにもならないいら立ち、嘆きを訴えているようにも感じました。

現代は便利で豊かな生活を追及しています。それは何でも「思い通り」に生活できる快適な世界を目指していることです。エアコンをつければ理想の温度に設定でき、ネット注文すれば、欲しい商品が翌日届き、ゲームも自分の都合でリセットできる。この思い通りになれる世界こそが快適なのでしょうか。

しかしそれが「当たり前」になると、思い通りになれないとき、いら立ちが倍に膨れ、その不満を暴力で解消しようとしてしまうのです。お釈迦(しゃか)さまは、「一切皆苦」と説かれました。この世に生きる限り、「苦」を受けなければならないのです。そのことがわからないと、自分の気分、思いから一歩も踏み出せることなく、むしろ迷いの世界の中に居座ることしかできなくなるのです。人間は間を生きているものであって、その間を生きて磨かれるところに豊かな人格が育てられていくのです。

「思い通りになる=当たり前」。「思い通りにならない=不幸」と思うからつらい。そうではなく「思い通りになる=有り難い」。「思い通りにならない=当たり前」と思えば、思い通りになったときの喜びは味わい深くなっていくのでしょう。

清沢満之氏(真宗大谷派僧侶)は「意のままにならぬことについては、如来に任すほかない」と述べられました。逃れられない現実にぶち当たったとき、合掌しましょう。阿弥陀さんはあなたを深く受け止め、大悲の心で包んでくださるのです。

今、あらためて思うことは、「恩知らず」になってはならないのですね。恩は「何がなされてきたのか、今日の私の元は何であるかを深く考える」という意味です。私を育ててくれた人も皆、私にイラッとしながらでも育ててくださったのですから。



かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。