ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

こころを洗う

僧侶・歌手 柱本めぐみ



さほど遠くないのに行ったことがない所のひとつ、20年ほど前に合併してできた東近江市に行く機会がありました。地元の方が案内してくださるというので、年末の慌ただしい時期ではありましたが思い切ってツアーに参加しました。

初めに訪れたのは太郎坊宮。正式名称は阿賀神社で、太郎坊というのは神社を守護する天狗(てんぐ)の名前だと伺いました。その天狗にまつわるお話を聞きながら、ふと手水舎の方に目をやりますと手水鉢に刻まれた「洗心」という文字が見え、「こころを洗う。いい言葉だなあ」と思いました。

暫(しば)しその2文字を眺めているうちに、「あなたのこころに垢(あか)はたまっていませんか?」と問いかけられているように思えてきたのです。決して純粋無垢(むく)なこころの持ち主でないことは自覚していますが、自分のこころがどれほど汚れているかが気になりました。美味(おい)しいものを食べたいと思う私。「若い時ほど物欲もなくなったね」と友人と話した翌日には服を衝動買い。足るを知る生活とはほど遠い私。不満や人の批判を口にしたり嘘(うそ)を言ったりしたこともありますから、まさに煩悩のかたまり。そんな自分を反省しながらも次の目的地を回りお昼ごはんをいただいてお腹(なか)いっぱいになった時には「洗心」はどこへやら。困ったものです。

しかし、最後に訪れた百済寺で夕景を眺めたとき、「洗心」の2文字が再び浮かびあがってきました。その美しさと、かつてこの地に渡来した人たちは、祖国を思いながら夕日を眺めたであろうというお話を聞いたとき、物にあふれ、なぜか先を急ぐ現代社会の粉塵(ふんじん)のようなものによって、私たちのこころが埃(ほこり)まみれになっているように思えたのでした。

今年は思いもかけない年明けとなり、大変な思いをされている方々がある一方で、国民を支えるべき行政は政治資金問題で揺れています。弁明を聞きながら、「洗心」の言葉を届けたいと思ったりもしています。


はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。