ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

心通わせ長く障害児診る

学校歯科医
古森 輝彦さん



 舞鶴市内で歯科医院を開業する傍ら、長く学校歯科医を務めてきました。初めは小学校、後に障害のある子どたちも診るようになりました。

 初めて障害のある子どもたちと出会ったのは1980年です。府立舞鶴養護学校(現舞鶴支援学校)の歯科校医と、同校に併設された舞鶴こども療育センターの学校歯科医長に就きました。両ポストともに引き受け手がなく、たまたま府歯科医師会舞鶴支部の公衆衛生担当理事を務めていた私に、支部から要請があり受けることにしたのです。


「障害のある子どもたちを診られたのは、歯科医師として生涯の収穫だった」と語る古森輝彦さん(5月22日、舞鶴市浜・ふるもり歯科クリニック)
 受診時にじっとすることができない子どもが多く、診療は難しいと聞いていたのですが、子どもたちは実に素直で純粋でした。毎週1回通って接するだけでも心を洗われる思いがして、感動せずにはおられませんでした。2016年までの36年間、療育センターに通い続けられたのも、あの時の感動があったからです。

 ただ、治療への恐怖心などから、パニック症状を起こしたり、あまりに虫歯が多すぎる子どもには、公立病院の麻酔専門医の協力を得て全身麻酔による治療を行ったことも何度かありました。

 元来、私は自分の医院では子どもの患者に厳しく、時に叱ることもあって「怖い先生」で通っていたのですが、障害のある子どもに接してからすっかり変わりました。生涯の収穫だったと感謝しています。

 療育センターで診た小学生で、どうしても口を開けてくれない女の子がいました。中学生になりその後、福祉施設に進みましたが、「痛くないよ」と毎回話しかけ、根気よく続けた結果、8年たってやっと口を開けてくれた時はうれしかったですね。心が通じた瞬間でした。 「この道は諦めてはいけない」と痛感させられる出来事でもありました。

 舞鶴でも近年は障害児(者)を受け入れる開業医が少しずつ増えています。診療体制の整備も進み、歯科医院などの1次医療、施設内歯科診療所などの2次医療、病院歯科などの3次医療と、症状の重さに応じた治療が可能になり、喜ばしい限りです。

 私は3人兄妹の長男で、家業の歯科医院を継ぐことに抵抗はありませんでしたが、歯科大卒業後は先輩から誘いがあった福井県上中町の国保診療所に7年間勤めました。そこで役場の職員だった妻と結婚して舞鶴に戻り、父の跡を継いだのです。

 歯科医院は10年前に三男が継ぎ、私は副院長ですが、障害者支援施設「こひつじの苑舞鶴」(舞鶴市安岡)には、現在も勤めています。診療した後は必ず、虫歯と歯周病を防ぐために、あらためて歯科衛生士を派遣して、個々に歯磨き指導を行うようにしています。

 ことし80歳になりましたが、障害のある子どもへの歯科医療には、今後も微力を尽くすつもりです。


ふるもり・てるひこ
 1941年、東京生まれ。大阪歯科大卒。京都大研修登録医修了。福井県の国保診療所勤務を経て72年、父親の跡を継ぎ舞鶴市で歯科医院開業。翌年から小学校歯科校医(計4校)を務め、80年から2016年まで府立舞鶴こども療育センター歯科医長。17年、瑞宝双光章受賞(学校保健功労)