2020.11.10
2020.11.10
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
今年は、新型コロナウイルスの恐怖から私たちの生活が一変しました。「ソーシャルディスタンス」により学校や仕事での人と人との「距離感」はもちろん、大切な家族や友人たちとの「距離感」にさえ戸惑う日々が続きます。
先日、60代の主婦からメールをいただきました。いつも通り家で洗濯をしていると、普段は家に居ない夫が背中越しに「お前は洗濯することしか能がないな」と一言。その言葉が彼女の胸に突き刺さり、大喧嘩(けんか)になったそうです。この怒りを友達にも聞いてもらうと「あなたの夫はそんな人と思って自分の好きなことをしたら?」と返ってきました。それでも腹の虫は収まらず、夜中、私の所へメールをくださいました。
彼女はなぜここまで傷ついたのでしょうか。夫から言われた言葉にただ腹を立てているのではないのでしょう。「お前の人生は洗濯することで終わってる」と言われたようで、自分の人生が夫の一言で「かき消された」からです。今まで一生懸命に生きていた私の人生は一体何だったのか? むなしさしか残らなかったのです。
夫からするとこのコロナ禍で在宅を余儀なくされ、「これから仕事はどうなるのか?」という不安もあったでしょう。すると妻が洗濯をしている姿を見て、気楽に見えたのかもしれません。しかし、動き回っている人、入院している人、家事をしている人もそれぞれが抱えた人生があるのです。私だけが特別な人生を送っているわけでもないのです。
自分が投げた直球の言葉で、相手は傷つく。そのくらい人間は、言葉で迷い、言葉で生きる望みを失う。しかし言葉で目覚めることもできる。
仏教に「不楽本居」という教えがあります。自分の今の在り方が喜べない、自分の今あるところが楽しめないことほどつらいことはありません。季節は立冬。寒さの中に心が暖まる言葉をかけたいですね。なぜなら人間は「居場所」がはっきりしたら生きていけるのですから。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。