2020.12.15
2020.12.15
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介
この秋、京都の街がアートで染まった。京都国際写真祭。京都の寺社や指定文化財を会場にして、例年は春の開催だが、コロナ禍の今年は延期されていた。それでも国際交流がいまだ困難な中、開催した関係者の努力に敬意を表したい。
毎回、毎所、印象深い作品が連なる。一部しか取り上げられないのが残念だが、まず私の仕事に近しいのは、独居老人たちに弁当を配達しながらひとりひとりの日常を撮って歩く福島あつしだ。彼を迎える老婆の満面の笑みの輝きと、弁当を前に力尽き箸を落として突っ伏す老爺(ろうや)の孤独。
解体される京の町屋を、その建材を自在に組み替えて新たな造形を行うマリアン・ティーウェン。日本家屋の木材と壁だけを積み重ね変えて現れるのは、荘重なカタコンベ(地下墓地)であり、戦火に崩れた石造の教会である。その構築物が写真に焼かれなおすと、さらに新たな陰影が生じる。そこに人類の創造と破壊の歴史が映しだされる。
今回最も衝撃的だった片山真理は、先天性の四肢疾患により幼い頃に両足を切断、手指も変形している。あえて言えば、異形のアーティストだ。その彼女は、自身の身体を数々のオブジェや裁縫、衣装で装飾し、その自分の存在を確認するように写真に撮って私たちの前に差し出す。それは、異形を排除して、自分たちの「普通」を確認しあうことでもろい平穏を保っている私たちの日常を突き崩す。
だが、そこまでであればアートとは言えない。その自身への執着と世界へのプロテストを越えて、彼女の作品は普遍的な美に到達している。私たちが排除しようとする「障害」を写真によって「異化」することを重ね、ついに「転生」に至る。軟体類のように多くのオブジェによる下肢を従えて海辺に屹立(きつりつ)する彼女は、人魚の女王のようである。
写真は「真の姿を写す」と書くが、実は、写されるのは時空を超えた別の現実だ。その異界の真実が一瞬、京の街中に溢れる。それは転生する命たちの祝祭だ。
たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。