2021.07.19
2021.07.19
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
弁護士 尾藤 廣喜
新型コロナ対策の切り札として、政府が急ピッチで進めてきたワクチン接種が、急激にペースダウンしている。京都市は、今月中旬から集団・個別接種の新規予約を一時停止することになり、長期的な供給見通しもはっきりしないという。当初、菅総理は、「10月から11月末までに接種を完了」「1日100万回の接種を」と公言していただけに、まさかの失速だ。政府は、これについて、ファイザー製のワクチンについて自治体の在庫に偏りがある、モデルナ製のワクチンの供給遅れがあるとしている。しかし、現実を見ると、根本的な公衆衛生上の「哲学」に誤りがあると思えてならない。
その第一は、「計画性の不在」である。そもそも、何時、どの程度のワクチンが入荷するか未確定の段階で、大量接種を打ち上げ、しかも、供給量すら無計?画。ワクチンの使用状況のチェックも不十分だった。公衆衛生の本来目的から当然とるべき基礎作業が全く欠落していたのだ。
第二には、地域の接種だけでなく、職域接種を呼びかけた点だ。これにより、必要性の高い人から接種するというルールが崩れ、経済力のある企業、学校などが先を争って申し込むことになり、強者が弱者を押しのけての「競争」を助長することになった。これに、ワクチンの供給遅れが重なったのだからパニックは当然のことだ。このことは、戦前の日本の福祉が、企業の保険・年金を中心に発足したという悲しい歴史を思い起こさせる。この国の「公衆衛生」は、平等な地域福祉から、何時、強い者、大きな団体に所属する者を優遇する「哲学」に変わってしまったのだろうか。
第三に、ホームレスの人々、在留資格のない外国人の方など、既存の制度の枠組みの対象にならない、あるいはなりにくい人が考慮外とされてしまっていることだ。
全ての住民が、公平・公正にいのちと暮らしが保障されるという哲学がないと、真の「公衆衛生」は成り立たない。
びとう・ひろき氏
1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。