ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

こころの先生

2021.07.26

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

僧侶・歌手 柱本 めぐみ

日本の戦後のクラシック界を牽(けん)引されたバイオリニスト、辻久子さんがご逝去されたことを紙面で知りました。世界的に活躍する演奏家として、またひとりの女性として、子どもの頃から尊敬していました。

記事を読みながら、私はふとピアノの先生のことを思い出しました。長年にわたり後進の指導に力を尽くされ、多くの優秀な生徒さんを育てられた先生で、私がピアニストになりたいなどと言い出したときに、紹介していただきました。

先生に初めてお会いしたのは小学校5年生のとき。黒ぶちのメガネの奥の目がとても鋭く見えて、それまで経験したことのない「極度の緊張」というものを感じた記憶があります。

門下生のひとりに加えていただくことはできましたが、そもそも私がピアニストになるというのは無謀な夢でしたから、毎回叱られて、ベソをかいて帰っていました。しかし、劣等生であることは重々わかっていても、不思議なことに一度もピアノを止めようと思ったことはありませんでした。

ごくまれにうまく弾けることがあると、「そうそう。やればできるじゃないの」と笑顔でほめてくださいました。先生の笑顔がうれしく、それを励みにレッスンに通い続けましたが、結局私は声楽に転向して大学に進み、先生とお会いすることもないまま月日が流れました。

大学を卒業して数年後のことでした。思いがけず先生がコンサート後の楽屋を訪ねてくださいました。久しぶりに見るお顔は、私の記憶にある笑顔でした。そして、「よかった、よかった」と、私が歌手の道を歩き始めたことをわがことのように喜んでくださった先生の目にうっすらと涙を見たとき、私は感動と感謝が入り交じった気持ちになりました。先生がどれほど私のことを思い、親身に厳しくしてくださったかが、はっきりと分かったからです。

泣きながら帰ったのも、あたたかい思い出。そしてもう会うこともかなわない先生は、今もこころの先生でいてくださっています。

はしらもと・めぐみ氏
京都市生まれ。京都市立芸術大卒。歌手名、藤田めぐみ。クラシックからジャズ、シャンソン、ラテンなど、幅広いジャンルでのライブ、ディナーショーなどのコンサートを展開。また、施設などを訪問して唱歌の心を伝える活動も続けている。同時に浄土真宗本願寺派の住職として寺の法務を執り行っている。