ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

真夜中のラーメン

2021.08.09

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介

なじみのグループホームに病院から帰ってきたおじいちゃん。口から食事をとると誤嚥(ごえん)して、肺炎になるリスクがある。介護者もおそるおそるだ。

と、ある深夜。

ぱっちりと目覚めたおじいちゃんが、夜勤者のいる食堂に出てきて「ラーメンが食いたい!」と言うのだ。その断固たる調子に驚いた介護者が、今なら食べられると踏んでラーメンを作った。おじいちゃんはごく自然に自分でラーメンをすすると、うまいと会心の笑み。

その様子を動画にとってSNSに投稿したところ、やっぱりであろう、大炎上した。いわく、もしものことがあったら誰が責任をとるのだ、個人の判断で勝手なことをして許されない、利用者のわがままを聞くだけでいいのか、等など。

最近認知症にかかわりはじめて、全国の熱意ある介護者たちと知り合うようになった。その中で知った話である。この炎上事件で全国的な討論集会が開かれ、賛成派と反対派が顔を合わせて意見を闘わせたという。これがすごい。

実は精神医療でも同じような話はある。隔離や拘束をめぐって、それをやめようという意見が出ると、必ず、ではどうするのだ、治療にならない、少ない人員で必死でやっているのだと反対される。だが、両者が同じ場所で真正面から意見を交わすことはない。介護の世界は、まだ歴史も人も若い。模索と試行錯誤のただ中で、それを阻む大きな権威もなく、自由な討論が許されるのだろう。

たかがラーメン、一食。

だが、人生の終わり近くにあっては意味が違う。最後の晩餐(さん)かもしれぬ。本人の笑顔の価値を無視しては、人間の介護とはいえない。しかし、介護者や施設の責任もある。正解はない。

これから私も含め多くの人が、他人のケアに頼って生きる。その時、この私の人生の幸せを何におくか。その幸せを守るために、ケアしてくれる相手に、そして家族や社会に対して、何をどう伝えていくのか。

真夜中のラーメンがそれを問うている。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。