ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

映画 「MINAMATA」に寄せて

2021.10.18

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介

ぬくいふところから/孫たちがすりぬけ/魚たちがすりぬけて/がてんのいかぬ世のしくみが しんしんと吹きすぎた/老人は ひがないちにち 小さな港に腰かけて/彼岸の海を眺めては暮らす(森永都子「水俣詩篇 老人と海」)

水俣病患者さんたちの人生と闘争を撮り続けた写真家ユージン・スミスを描いたジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」。従軍写真家として兵士や市民の犠牲者を撮り続け、自らも戦争沖縄戦で負傷したユージン。彼は高度成長期の日本で起こった公害の犠牲となりながら、大企業と国に闘いを挑む患者たちに、理不尽な戦争で身も心も傷を負った自分の生の希望を見いだした。

学生時代、私も何度か水俣を訪れ、漁のできない患者さんの援農をした。同い年の胎児性水俣病の人たちの京都案内をし、水俣の記録映画「水俣の図・物語」の上映も行った。今、映画「MINAMATA」を見て、当時会ったひとりひとりの顔や声がよみがえる。

水俣病は1956年が公式確認とされる。3年後には、原因はチッソ水俣工場から排出される有機水銀であると確定。しかし日本政府はそれを認めず、工場稼働を優先した。日本の高度成長にとってなくてはならぬ企業だったからだ。有機水銀の排出は続き多くの犠牲者が出た。政府が有機水銀を原因と認めたのは、高度成長が軌道に乗った1968年である。映画ではわからない歴史の事実だ。

水俣病の闘いは、このような歴史に傷つけられた、ひとりひとりの人間の闘いだった。彼らは「がてんのいかぬ世のしくみ」になぎ倒され、また立ち上がる。ユージンの写真も水俣の記録であるとともに、ひとりの写真家が戦争の傷から回復していく記録だ。

写真家が倒れたその先に、今ふたたび、環境破壊が止まらない現代世界がある。映画は有機水銀に汚染された水俣を描いて、ひとりの写真家の傷ついた魂と、今も傷つけられ続けている世界を、時代を超えて架橋している。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。