2022.02.21
2022.02.21
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
さわやか福祉財団 会長 堀田 力
子どもを育てるのは誰の責任だろうか。
何を今さらという問いであるが、政府が子ども家庭庁をつくることを決めたので、基本問題を考える必要が生じてきたのである。
これまでの考え方は、親に第一次責任があり、親がその責任を果たせない時は国がその責任を果たすという原則になっている。例えば、保育所は親が保育できない子を受け入れる施設であるという考え方である。
子育ての責任は、ある年齢以降は国にあると考える国もあるようであるが、日本ではそこまではまだ無理であろう。だから、親に第一次責任という原則は維持すべきであろう。
ただ、「親が保育できない」というのはどういう状態なのか。かつてその状態は「保育に欠ける場合」と表現され、その場合には国の責任(つまり、保育所に入れる責任がある)と考えられていたが、今でもその考え方は引き継がれている。
しかし、時代は進んでいる。かつては、両親が就労や疾病などのため物理的に保育できない場合のことを指していたが、今は子どもの人権条約もできて、どこまで子どもを育てればよいか(子どもはどこまで育てられる権利があるか)の基準は、はるかにレベルが上がっている。一言でいえば、子どもは社会的に自立して健全に暮らせる能力を身に付けるところまで育てられる権利をもつと考える段階に到達したのである。
子どもがそのレベルまで育つには、乳幼児期からいろいろな人と交わって、その環境の中で自分も頑張る自助の力、人と助け合う共助の力を身に付けるところから始める必要がある。
しかし、どんなにお金持ちの親であっても、自分の力でそんな社会環境をつくることはできない。
だから、今の社会では、すべての子どもに対し、国と社会が、その責任において、施設(保育所等)における保育および地域の人々による交流の機会という社会環境を提供しなければならないのである。
ほった つとむ氏
1934年宮津市生まれ。京都大法学部卒業。東京地検特捜部検事、最高検検事などを経て、91年に法務大臣官房長を最後に退職。現在、ボランティア活動の普及に取り組む。弁護士。著書に「おごるな上司!」「心の復活」「少年魂」など。