ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

戦争は卑劣な情報戦

2022.03.21

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介

古くは、アラモ砦(とりで)の戦い、わざと援軍を送らず砦に立てこもった自軍を見殺しにした。「アラモを忘れるな」と米軍自らの結束を高めるためだったという説がある。その真偽は今では確かめようはない。だが、近くはベトナム戦争のトンキン湾事件がある。戦争介入のきっかけとなった事件だが、これがアメリカ側の秘密作戦の一環だったことは、後年明らかにされた。

イラク戦争では、イラクの大量殺人兵器保有という情報について、今もその真偽の議論がある。もちろんアメリカは、戦争の正当性を主張し続けている。

戦争はその昔から、武力による殺し合いである前に、卑劣な情報戦だ。それは敵にも自国民にも向けられる。私たちは、それをこの国のかつての戦争で思い知らされたはずだ。

だが、私たちひとりひとりは非力で、世界のことには誰もが無知で、テレビや大新聞から流れる情報に頼らざるを得ない。皆が同じ情報をもつことで安心でき、なにより連帯感が生まれて団結して事に当たれる。社会は、このような連帯なしには成り立たない。

だとしても、だからこそ、戦争については、すぐに連帯感を生むような情報の前に、立ち止まってみることが必要だろう。そのような情報の典型が、一方を絶対的な悪と決めつけるものだ。それを主張すれば、自分は正義だと胸を張れる。

今回のロシアによるウクライナ侵攻という暴挙への批判は、当然だろう。犠牲になる一般市民への援助が必要だ。だが、その原因を悪魔の独裁者の仕業と決めつけるのはどうか。それは、解決に導く対話を最初から放棄することだ。ましてや、これを機に日本も核を持とうという政治家の発言は、紛争の混乱に拍車をかける軽率な妄言でしかない。

戦争は悪だという考えを手放してはいけない。「殺すな!」と声をあげよう。だが、勇ましく一方を非難して終わることは慎みたい。争いに巻き込まれて最後に犠牲になるのは、非力な私たち一般市民なのだ、戦争する権力者ではなく。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。