2022.06.20
2022.06.20
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
立命館大教授 津止 正敏
有吉佐和子の「恍惚(こうこつ)の人」(1972年)の発行50周年が今年。「恍惚」は、当時一般に言われていた「モウロク」とか「ボケ」に代わる認知症を指す新しい言葉として世間に広がっていった。翌年に公開された同名映画で、嫁の昭子を演じた女優・高峰秀子との対談で有吉は次のように語っている。
私にもしもこの小説で社会にお役に立ったことがあるとしたら、それは、自分にカンケイないと思っていた人に、「みんなカンケイのある問題なんですよ」ということを思い知らせた、という功績があるのでなかろうか。どう?(高峰「いっぴきの虫」)
有吉がこの小説のために費やした取材期間は6年余というから、昭子たちの介護に反映された時代は60年代だ。1964年の東京オリンピック、70年の大阪万国博覧会と続く高度経済成長盛りの時だ。68年に実施されたわが国初の「居宅ねたきり老人実態調査」(全社協)も取材対象となったのだろう。昭子たちは同一敷地とはいえ舅(しゅうと)らとは別世帯の核家族、子どもは大学受験生の一人息子、夫婦共働きという時代の典型家族。それでもまだ主流の社会規範は介護を担うのは女性・嫁という時代。経済成長の歪(ひず)みも福祉や環境等々さまざまな分野に顕在化していた。公害問題が噴出し住民運動が各地に勢いづき、ポストの数ほど保育所をという運動も起きた。政治革新のうねりが全国に広がっていた。
みんなに関係ある問題と知らしめたと有吉が自己評価した介護問題もまたしかりだ。ひとり重荷を背負った昭子たちの轍(わだち)を道標として、介護がようやく社会の表舞台に躍りだそうとしていた。有吉によれば「昭子」の名は昭和の女をイメージしたというが、昭子の介護は、その後に起こる新しい福祉や介護の社会化の芽を奥深くに内包していた。
「恍惚の人」は72年の年間売り上げ1位の194万部の大ベストセラーとなった。翌年の「福祉元年」(田中角栄内閣)の露払いをするかのように、だ。
つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。