2022.11.28
2022.11.28
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
あるボランティアの会に一人の女性が訪ねてこられました。「私、誰も友達がいないのです。親、兄弟も私の話を聞いてくれません。毎日、地獄を味わっています。妙慶さん一言でいいので、私に言葉をください」とおっしゃいました。
私は「よく来てくれました。この行動がまず大切なことなのですよ」とお伝えしたのです。なぜなら自分一人でため込むことほど危険なことはないからです。
さて、地獄は衣食住の苦しみだけではなく、私の話に共感してくれる人がいないということです。「我、今、帰するところ無く、孤独にして同伴無し」(源信僧都「往生要集」)。この言葉は、「私は今、帰るべき場所もなければ、たった一人で友も無く、地獄に堕(お)ちていく悲しみ」をあらわしています。
「獄」という字は、獣がワンワンとほえ合っている字です。つまり自分の言い分だけ主張して、相手の声を聞こうとしない状態。では絶望することしかできないのでしょうか。そうではありません。私は彼女に「聞いてくれる人はいますよ。つらいことがあれば、もう一人の自分が『つらかったな』と受け止めてくれます。本当の自分を知っているのは、もう一人の自分なのです。どんなことでももう一人の自分に洗いざらい聞いてもらったらいいのです」と伝えさせていただきました。
その一つに「日記」を書く方法がありますね。日々、感じたことを一言だけでも紙に書いてみて、その文字を客観視するだけで、自分の中にため込んでいる苦しみを自分で理解することができるのです。また過去の日記を見ながら、自分の気持ちにしっかり向き合えることができます。例えば、過去誰かとけんかをしたとき、時間がたった今、「あのときに何でかっとなったのか?」と考え、もう一人の自分になげかけることができるのです。
自分の喜び、悲しみを一番に理解してくれるもう一人の自分が本当の朋(とも)なのかもしれませんね。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。