ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

「財政民主主義」はどこへ

2022.12.19

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

弁護士 尾藤 廣喜

大学で専門課程に入り、法律を学ぶ以上は両輪として必要と言われて、財政学を学んだ。その講義で最も強調されていたことが、「財政民主主義」だ。

「財政民主主義」とは、国が支出や税金を課するという財政活動を行う場合には、国民の代表者で構成される国会での議決が必要であるという考え方であり、憲法83条に根拠をおくとされる。財政は、国の基礎を支える存在であり、国民の意思を十分に反映したものでなければならないことからすれば当然のことだ。

ところが、最近の予算執行では、この原理が全く実行されていない。

政府は、2022年度当初予算で、新型コロナ対策費などとして5・5兆円の予備費を計上していたが、その後、補正予算を繰り返し、22年度に措置された予備費は累計で11・7兆円にも膨れ上がった。予備費とは、不測の事態に政府が柔軟に対応できるよう使い途を予(あらかじ)め定めず、閣議決定だけで使える費用であり、国会から後日承諾さえ得ればよいことになっている。「財政民主主義」の観点からすると、予備費は緊急の例外的なものであり、かつては、年間3000億円程度で推移してきた。しかし、近年では、新型コロナ対策を口実に、20年度に9・65兆円を積むなど巨額化しており、今年度はさらに増額したのだ。実に、当初予算の約11%にもあたる。

予備費として使われたものには、新型コロナ対策や原油高・物価高対策をはじめ、安倍晋三元総理の国葬費用なども含まれている。支出の効果はどうか、本当に緊急に必要な費用か、規模だけが膨れ上がっているのではないかなどの根本的疑問がある。また、国債のさらなる発行を招く、巨額の補正予算が常套(じょうとう)化するなど、「財政民主主義」が守られていない欠陥が極めて大きくなっている。

そんな中、今度は、岸田文雄総理から防衛費をGDPの2%に増額する方針が示され、増税すら言われている。

国の予算は誰のものかと言いたい。

びとう・ひろき氏
1970年京都大法学部卒。70年厚生省(当時)入省。75年京都弁護士会に弁護士登録し、生活保護訴訟をはじめ「貧困」問題について全国的な活動を行っている。