2023.02.20
2023.02.20
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
今、ネット検索するとさまざまな情報が得られる時代となりました。すると煩悩が刺激され、「あれを手に入れるにはどうしたら、いつまでも健康を保てるにはどうしたらいいか」など、思い通りになる方法を探し出すことになります。
先日、80歳の方が「年をとり人様に迷惑をかける人間になりました。情けないことです」と訴えてこられました。このつらさはご本人でないとわからないと思います。しかし若さには生きている意味があるけど、老いることには意味がないというのは矛盾した生き方にもなるのです。「私は誰にも迷惑をかけたくない」というのも、「老いることには値打ちがない」という裏腹でもあるのです。年をとるのは自然の摂理です。
ここのところ「老害」という嫌な言葉を目にします。しかし、よくよく考えると誰もが確実に老いていくのです。老いを醜いものとみて、若さを追い求めるようになると、「今、生きている有り難さ」は感じられなくなるのです。ある小説家は、「年々に、わが悲しみは深くして、いよいよ華やぐいのちなりけり」とおっしゃいました。老いることで、悲しみはいよいよ深まり、やりたいことも瞬時にできなくなってしまいます。しかし、生きることに尊さを感じられるのは、諸行無常の人生を経験するからなのです。
さて、老いるというのは、人間として熟していくことではないでしょうか。年齢と戦う心から離れ、心が丸くなっていくことだと思うのです。梅が咲きました。寒さに耐えたごつごつした枝はまるで私たちの人生のようです。その枝から可憐な花を咲かせる。過酷な人生を生きてきたわが身から華を咲かせる。それが「華やぐ老い」なのでしょう。華やぐとは「時めく」ことでもあります。
今の私に時めいて生きていきませんか?世間の常識だけにとらわれる心から離れ、私の生きた歴史を尊べたとき、いよいよ華やぐ老いを生きることができるのでしょう。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。