ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

介護殺人事件

2023.08.15

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

立命館大教授 津止正敏

昨年の11月、40年間介護を担ってきた夫(82歳)が、車椅子ごと妻(当時79歳)を海に突き落として死亡させた事件が起きた。懲役3年(求刑7年)という実刑判決が下されたのはこの7月。執行猶予はつかなかったが、そのことが今回の事件と加害者の特異性を殊更に強調する構図にも連なって、違和感があった。

妻が脳梗塞を発症し夫が介護を始めたのが1982年頃。40歳前後の働き盛りの夫婦だ。子どももまだ手の掛かる時だったろう。介護は家族に丸投げされていた時代。家族だから当たり前とされ、「模範嫁」「優良介護家族」なども表彰された時代だ。介護保険法が施行されてもなお家族責任が社会規範として暮らしの隅々に根を張っているように、彼らもまた自身の介護観のアップデートもなく過ごしてきたに違いない。

家族責任の規範を丸ごと内面化し、真面目に責任感強く生きてきた彼らである。家族の当然の責務として懸命に介護する/されるという生を成してきたはずである。それ故に、介護サービスの利用や専門職など周囲からの助言も受け入れるには相当な壁もあったろう。

裁判では妻の施設入所をためらい支援を拒む独り善がり故に起きた事件と指摘されたという。でも、それは妻の状態が急変した直近の介護実態ではあってもその全てを掴(つか)み取ったうえでの指摘ではない。介護初動から今に至るまでに埋め込まれた支配的規範や環境を問う声はあったのだろうか。夫婦の介護生活と社会的支援の総体はどのように情状鑑定されたのだろうか。裁判で問われるべきことは何か、ということだ。

裁判がもう二度と事件を起こさないための木鐸(ぼくたく)たらんというのであれば、さらに望まぬまま唐突に生きることを阻まれた妻の無念を思えば先の懸念は募るばかりだ。意図せずして殺害動機の正当化に繋(つな)がり兼ねない執行猶予の有無に裁判争点が敷かれ社会の関心が集まるのは残念だ。彼らの40年間は、この社会の介護の縮図でもあるのだから。

つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる – 男性介護者100万人へのエール – 』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言 – 』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」 – 』、『子育てサークル共同のチカラ – 当事者性と地域福祉の視点から – 』など。