2023.10.30
2023.10.30
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
先日、ある方から「母親への不満」を訴えるお手紙をいただきました。どう返事をさせていただいたらいいものかと考えながら、実母の法事のため、実家へ帰りました。
法要後、お内仏(仏壇)の整理をしていると、母との手紙のやりとりが出てきました。一通目は、1人暮らしをはじめた私に届けられた手紙です。その内容を受けて「私の行動をいちいち指摘しないで」と返事をしています。すると母の二通目の手紙は、「愚かな私を許してほしい。ごめんね」とつづられています。
その後、私は母に返事をしていません。この頃の私はアナウンサーを目指し、人よりも抜きんでることしか考えていませんでした。そんな私を母は心配して手紙を寄せてくれたのですが私は反発しているのです。
あれから数十年たった今、私は僧侶として生きております。まさに「まことに自損損他のとが、のがれがたく候う。あさまし、あさまし。」の蓮如上人のお言葉が響いてきたのです。「人間というのは自らを損ない傷つけ、また他人を損ない傷つけて生きている。まったく哀れなことだ」。
母は決して娘を傷つけようとして手紙を送ったわけではないのに、私は言葉の表面だけを受け取り反論している。自分が正しいと思った言葉を投げかけているのですが、相手はその言葉に傷つき、きつい言葉を発した私も傷ついているのです。そこに母は「愚かな私を許してください」と、凡夫の身に立ち返って私と向き合おうとしている。なのに私は自我の殻の中に閉じこもって少しでも注意されようものなら反論することしかしない。私こそが愚かだったのです。
相談のお手紙の内容はまさに私と母との会話を憶(おも)いだすきっかけをいただいたのです。どこまでも心配してくださる仏さまの心、親心を感じることができたのは、自分の力では思い起こせることができない「仏さまのはたらき」なのですね。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。