ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

京都「水俣展」によせる

2024.07.08

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT―K主宰・精神科医 高木 俊介

年末、京都で「水俣展」が開かれる。京都では初めてだが、30年近く続いてきた企画だ。開催各地の手作りの展覧会である。

かつて「水俣病を告発する会」を名乗る市民運動が全国にあり、京都の活動も盛んだった。私は学生時代、そこの友人に誘われて水俣に行った。漁ができなくなった水俣病患者が新たな生業(なりわい)とした甘夏作りの援農であった。有機水銀汚染を被った患者たちは、農薬や化学肥料を使わない農業を模索していた。

その出会いから、胎児性水俣病の子らが京都で話をするのを手伝った。水俣病を記録し続けた土本典昭監督『水俣の図・物語』の京都上映に奔走し、学生時代に社会の広さと人との出会いの面白さを知った。

「京都・水俣病を告発する会」にはさまざまな人が集まっていた。新潟の水俣病を映画に撮り続ける者、沈黙する患者の心奥の語りを紡ぐ詩人、公害を研究し運動を実践する学者、当事者として障害者解放運動にかかわる脳性まひの学生、水俣病の自主検診を手伝う医学生…多士済々だ。

公害反対運動という枠を超えたさまざまな文化が生まれていた。土本典昭の画期的な記録映画、ユージン・スミスが有名だが、多くの若い写真家が水俣から育った。文学では石牟礼道子は言うまでもなく、彼女を見いだし育て伴走した渡辺京二もいる。水俣の苦難は、単なる公害反対運動ではない輝かしい文化と時代精神をつくった。

社会運動、市民運動には課題の切実さとともに、人々の感情の共有が大切だ。アートや文化はそれを支える。それによって眉間に皺(しわ)寄せた苦しい運動ではなく、人々を惹(ひ)きつけてやまない魅力が生まれる。

水俣のような社会運動がなくなって久しい。世界には新たな問題が次々に襲ってくる。京都水俣展の準備には、水俣を知ることで自分たちに何ができるのかと、多くの若者が集まる。ここから新しく生まれるものに期待したい。「水俣」は、終わっていない。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。