2023.02.06
2023.02.06
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
病理学教室に所属後、産婦人科医、精神科医として西洋医学をベースに医療に携わっていた私が東洋医学に興味を持ったのは50代に入ってからです。
京都大医学部ご出身で、浅田流漢方の中田敬吾先生(聖光園細野診療所理事長)に教えを乞うこともありました。自分でも研究を続け漢方を習得。一昨年、長年の勤務医から開院に至りました。
91歳の女性心療内科医。しかも漢方中心で、珍しがられますが、医者に定年はありません。私の年齢うんぬんより患者さんに元気になってほしい。週4日は医院に出て一人一人から、じっくりお話しを聴き治療法を見つけています。
母子家庭の私が医学を志すきっかけは、母の目まいでした。倒れた母を横に、9歳の私が京都大医学部付属病院に電話。「どうすればよいのですか」と尋ねると、丁寧に教えてくださった。「医学を学びたい」という思いが募っていきました。
学徒動員も経験した高等女学校3年の夏が終戦でした。新制高校から京都府立医大に進学。学部とインターンを終え、病理学教室に所属して大学院に進みましたが、ここで人生の岐路に立たされました。病理学指導の先生が、米国・ボストン大へ留学の道を開いてくださり、ホームステイ先まで決めていただきながら、歯科医で当時、病理学教室の研究生だった夫との結婚を選びました。母に孫の顔を早く見せてあげたい思いが強かったのです。
その後は、府立医大産婦人科に勤務。手術も任されたころ、5人の子を生んで専業主婦に転じ、さらに2人生まれ計3男4女の母親になりました。
長い出産・子育て経験は、産後うつや月経前不快気分障害などの症状を相談される今の仕事でも、有用と感じます。「大丈夫ですよ」のひと言で、緊張が解ける患者さんもおられます。
専業主婦は14年続け、51歳で再び母校に戻り精神医学教室に入局しました。脳神経の勉強をしたくなったのです。研究中に三幸会第二北山病院(左京区)に派遣され、そこで初めて給料をいただき精神科医として自立しました。
第二北山病院である時、特異な症状(喜笑)の女性患者さんに出会いました。笑い転げ同室者の肩をたたいて回るのです。治療法を探すと、明治時代の漢方名医・浅田宗伯の医書「勿誤薬室方凾口訣」に外台秘要出典の「黄連解毒湯、喜笑止まざる者を治す」とあり、試してみると一気に快癒してしまった。漢方にのめり込むきっかけになる出来事でした。
漢方方剤は近年、有用性が次々に実証されています。西洋医学にも配慮する漢方心療内科は理にかなった医療を提供できる確信があるのです。開業にあたり、次男(59)が企業を早期退職して事務長となり補佐してくれて助かっています。体力の続く限りは、多くの人に支えられて得た私の知見と技術を世のお役に立てたいと願っています。
ふじい・ひでこ
1931年、京都市生まれ。京都府立医大大学院修了。医学博士。同医大病院で産婦人科、精神科医師を務めた。2021年、左京区に漢方心療内科を開院した。栄養学、心理学に明るく、個人ブログも運営。今年1月、心を楽にする指南書「ほどよく忘れて生きていく」(サンマーク出版)を刊行。