ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

コロナワクチンの反省

2025.02.17

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT-K主催、精神科医 高木 俊介

 健康被害の申請、約1万3000件、うち死亡認定者数、951人。新型コロナワクチン健康被害救済制度によって、コロナワクチンが原因で死亡したと考えられる方の数だ。この制度で「予防接種と健康被害との因果関係が認定された方」(厚労省)である。

 この人数は、過去45年間のワクチン接種による死亡の6倍以上になる。驚くべき数字だ。だがワクチンを推進した人々は、この数をもってしても、ワクチンは安全だと言い張っている。「被害者」の救済は必要だが、医学的にちゃんとした因果関係はないと言う。だが、科学は因果関係を確定できない。それはあくまで推測・解釈である。


 従来であればこれだけの被害が出れば、元々健康な人が打つワクチンは一旦(いったん)中止された。そうならなかったのは、世界中がコロナ感染を恐れるあまり、立ち止まる思慮を失っていたからだ。確かに、コロナ禍は現代社会の未曽有の事態だった。政府も国民もワクチンに縋(すが)るのも無理はない。

 だが、このワクチンはまったく新しい仕組みで、どんなウイルスよりも人体にとって未知の物質である。遺伝子(mRNA)を体内に注入して、ヒトの体内でウイルスの一部を生産する。その量は制御しにくく、体内での振る舞いも不明なことが多い。種々の臓器に分布していたという報告もある。心筋炎のような重大な副作用が、若い人に多いこともわかってきた。

  デメリットが次第に明らかになる中、実は、メリットのひとつは製薬会社にとっての製造のしやすさだ。そのため、この新たな技術のワクチンが他の多くのワクチンにも使われようとしている。それはもう、国策として既定路線である。

 そうであれば、今からでも綿密な計画を立てて効果と副作用をきちんと調査研究し、国民にそれを隠し立てなく知らせて選択できるようにするのが不可欠だ。

 ワクチンは健康な人に打つ。安易にそれが社会のためだとは言えない。いま一度、立ち止まって考えよう。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。