ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

弱さでつながる

2025.03.24

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

 私の友人が体調不良で教壇に立てなくなりました。それを聞いたある人は、「弱い人が学校長になってはダメなんだ」と厳しく指摘しました。つまり、強い人でないと指導者にはなれないのでしょうか。


  「尼提(にだい)」という作品があります。これは芥川龍之介の著作で、『阿弥陀経』に登場する、舎衛国の城内で排せつ物を城外に捨てる仕事をしている人物が主人公です。ある日、尼提は前方に釈尊が歩いてくるのを見かけます。彼は自分の仕事が恥ずかしく、釈尊の目に触れないようにと横道に入ります。しかし、避けようとした道で、釈尊は彼を見つけます。さらに避けようとした瞬間、持っていた器を割り、ふん尿にまみれてしまいました。それを見た釈尊は、彼に出家を勧めますが、尼提は断ります。なぜ断ったのでしょうか

 尼提は自分が卑しい身分だからと、自己卑下していたのです。当時、身分制度の中で職業差別を受けていた者は、道具のように扱われていました。しかし、釈尊は言います。「命に貧富や身分の差はない。あなたは自分の思い込みによって、無駄に苦しんできたのだ。一人ひとりが尊い命を与えられている」と。釈尊は彼に、命の尊さを教え、彼が避けることしかできなかった苦しみと悲しみに向き合ってもらったのです。「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、涙は涙にそそがれる涙にたすけられる。」という言葉を残したのは、真宗大谷派の僧侶、金子大栄です。


 

 人間は誰しもが悲しみを背負っています。誰にも言えないことがあるかもしれません。そのような人間の事実に向き合わせてくれるのが「涙」なのです。逃げるのではなく、悲しみの根源に向き合い、それを受け入れて生きることしかできない。人間は強いのではなく、誰もが皆、弱いのです。「悲しみを知る悲しみ」「涙にそそがれる涙」がそれぞれにあるとわかれば、人は共に生きていけるでしょう。どうか、私たちは「弱さでつながる」ことを忘れないでください。


  ある時、お寺に来ては人の悪口ばかりいう人がいました。老僧は「このバケツにいろんな大きさの石を集めてください」とお願いします。さっそく境内にあるいろんな石を集めてきました。老僧は、「集めた石を一つ一つ、元の場所へ戻しなさい」と言います。すると「石のあった場所を覚えているわけではない」と激怒したのです。老僧は、あなたは人の「わろきこと(悪いところ)」には気付きますが、石の場所を覚えてないように自分のしたことを覚えてないものなのですね」とおっしゃったのです。

 

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。