2025.04.14
2025.04.14
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
平等院住職 神居 文彰
パリと東京で交互に開かれてきた「ロレアル色と科学と芸術賞」の授賞式が2003年に京都で初めて開催され、私も出席していた。モルフォ蝶(ちょう)の耀きや回転独楽(こま)の錯覚、釉薬(ゆうやく)の変化など色とアートを科学的に検証するためのファンデーション嚆矢(こうし)だった。
現在ならAIと統計を応用し、視覚効果や空間組成から、実際にどのように古画や仏像から趣意や祈りが惹起(じゃっき)され感性に作用するのかなど、対象を歴史的な特徴と分類・構造による文化財的な解明とは異なる視座に拡(ひろ)げられ、実際の設置開陳効果の解明とその応用も出来そうである。
急に思い出したのは、22年前の当日、ある伝法行の成満の足でそこに参加し、先日同じ伝法道場を終えそのまま文化財調査に向かった重体験からである。
その回のシルバーメダルがジャニス・ティーケンという女性で、蘭の乾燥過程をデジタル映像として取り込み、コンピューターで種々に着色し色と形の混成が人間のエロスを強く喚起、死の後にくる命の色として表現されたものと評価された。

パリ宇宙天体物理学研究所のジャン・ピエール・ビブリン教授は講評で「生命の営みののち、花が経験すること。死の後の命が永遠に残ること、そして希望」と絶賛したことを記憶している。
精神病理学者E.ミンコフスキーは「死に往くものも常に未来を見つづける」という。身体感覚の問題ではなく希望に繋(つな)がる過程が重要なのであり、祈りと共に自身も変わるのである。
和蝋(わろう)の揺らめきと無言の声明に、色の洪水と空谷の跫(あし)音で溺れたようになる。
カラーレスな墨の濃淡と筆調による奥行きと立体性は、自身がいつの間にか絵の一部と化していたかのように官能が溢(あふ)れる。
希望は現実の生活と乖離(かいり)するものではない。道場から続くこの感覚は、リアリティーを充分変容させる力をもっていた。
人は出会いと創造と変化を蓄積して希望へと向かう。
かみい・もんしょう氏
大正大学大学院博士課程満期退学。愛知県生まれ。1992年より現職。現在、美術院監事、埼玉工業大理事、メンタルケア協会講師など。