ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

コロナの傷あと

2025.04.28

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ACT-K主催、精神科医 高木 俊介

 政府コロナ対策分科会の経済系委員である大竹文雄氏は、「コロナ対策は専門家だけで決められる問題ではなかった。日本は科学信仰が強すぎる」と、コロナ感染症が5類になり政府による強制的な対策措置がなくなった2年前に指摘している。強力な対策の実施を主張する医学側の意見だけが尊重されて、様々(さまざま)な感染対策が社会に生むマイナス面を考慮してこなかったというのである。

 事実、この2年、日本社会はいまだにコロナに一喜一憂させられ、必要性の怪しい感染対策を強いられている。対策を受け入れることで萎縮した社会生活が、だらだらと長引いているのだ。同じ大竹氏が最近の発言で、1度始めた対策のやめ方について考えてこなかったことを反省している。

 出生数は予測を超えて減り続け「超」少子「超」高齢化社会が問題となった。思春期の5年間を異性と親密になる経験を制限された若者には、恋愛も結婚もますます遠いだろう。マスクを外せなくなった彼らは、社会に「面と向かう」成長の機会を失っている。いつまでも感染不安に怯(おび)える高齢者と同調圧力をはね飛ばせない若者ばかりでは、社会の活力は失われていく。

 文化人類学者の磯野真穂氏は、日本人の「和をもって極端となす」特性がこれらを助長したと言う。極端化した挙げ句、解消の仕方が見えない、未来を見通せない。コロナ前から凋落(ちょうらく)の兆しがあった私たちの社会は、ますます加速して袋小路に入ったのだろうか。

 人類は様々な厄災と病気を生き延び共生してきた。コロナの傷あとから、そろそろ踏み出してよい時だ

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。