ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

やり返さない生き方

2025.06.10

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

 「なぜ人を殺してはいけないのですか?」。そんなメールが私のもとに届きました。私は、すぐに答えず、「あなたはどう思いますか?」と問い返しました。すると、「殺すと自分が死刑になるかもしれません」と。けれども、「殺人はいけない」という理屈を知ったからといって、自制できるとは限りません。彼の中に怒りや復讐(ふくしゅう)心が根づいている限り、どれだけの言葉を伝えても、真の意味で解決することはできないのです。

 「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)。もし、考えもおよばないような状況に追い込まれたならば何をしでかすか分からないのが私たちなのです。私たちは、自分の意思だけではコントロールできないのです。

 昔、人々が短命であり、大勢の家族とともに暮らしていた時代には、誰かの「死」は日常の中にありました。身近な人の死を見つめ、受け止めることで、人は命の重みを自然と感じ取っていたのです。現代は、医療が発達し寿命が延びた反面、「死」が日常から遠ざかってしまいました。

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」。かつては、そんな問いをわざわざ立てるまでもなく、「命は自分のものではない」「人は一人では生きられない」と実感していたのです。私たちは、家族や仲間と見えないつながりの中で生きています。人を殺すという行為は、こうしたつながりを断ち切ってしまうことになるのです。今、世の中では連日のように悲しい事件が起こっています。誰かを傷つけることで、自分がかつて受けた苦しみを晴らそうとする人もいます。

 しかし、どれだけ他人を傷つけても、自分は幸せになれないのです。人は誰しも、怒りや悲しみを抱えて生きています。そんな人生であっても、「やり返さずに生きる道」を選ぶことができます。私がその一歩を踏み出すことで、怒りの連鎖は、止まると願っています。「やり返さなくてよい処(ところ)」が皆の安心につながっていくのですね

 

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。