ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

耳・目・心・肌で聴き理解

2025.07.07

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傾聴ボランティア「ほっとカフェ東山」代表 安井 潔さん

 悩みや不安を抱える人に寄り添い、じっくり話を聴いて安心と癒やしにつなげてもらう。そんな傾聴ボランティアの道に入って26年がたちます。自身で傾聴する一方、ボランティア養成や、養成講座の指導者を育てる活動に携わってきました。

 京都では、これまでに傾聴にかかわる五つの団体を設立。ボランティア460人が育ち、指導者に合格した中から13人が京都市と三重県四日市市で活動中です。私自身は各団体の代表は退き、3年前に設立した「ほっとカフェ東山」で、代表を続けています。

 傾聴には「相槌(づち)を打つ、反復して聴く、否定しない、励まさない…」などのルールがあります。私たちの方法は「耳と目と心、そして肌で聴く」。表情と感情の動きを読み、握手で相手の手の湿り具合も確かめ、その人をトータルに理解するのです。

 いま傾聴を求める人の数は増えるばかり。効果として最も大きいのは、その人に新たな気付きが生まれることです。話すうち自身の欠点を自覚して、人間的に成長する例も少なくありません。

ほっとカフェ東山の傾聴定例会で、参加者から話を聴く安井潔代表(京都市東山区、やすらぎ・ふれあい館)

 大手家電メーカーの営業マンだった私が、傾聴に出会ったのは60歳で会社を辞めた翌年の1998年でした。住んでいた神奈川県茅ケ崎市で、村田久行先生(当時、東海大助教授・哲学)による傾聴の講演を聴いたのです。「聴くことは無償の援助になる」。営業一筋だった私には、目からうろこの言葉でした。

 「お金ではない援助もあるのか」。感動して東海大で村田先生の傾聴講座を受講。京都ノートルダム女子大大学院でも学び、「聴くこと」の研究者、鷲田清一先生(当時、大阪大教授)を知ると、その講義を聴くため各地へ出かけたりもしました。

 会社員時代の私は、電池製品の営業などに命を削る毎日でした。役職に就くと、得意先接待で暴飲暴食が続き糖尿病に。「もう命が危ない」と悟り、退職して出会った傾聴が、その後の「天職」となったのです。

 京都に居を移し、妻の文子と2人で始めたころの傾聴活動は、散々でした。高齢者施設を訪ねてもすべて門前払いです。誰も傾聴を知らない時代、社会福祉法人フジの会(伏見区)代表、砂川祐司さんに「どうぞ、うちの施設で」と、ご厚意をいただき活動の足掛かりを得ました。以後、ホスピスや個人宅訪問へと、傾聴の場を増やし、団体設立につながっていきました。

 振り返ると、傾聴に関わって私自身も気付きを得ました。団体事務を含め親身に支えてくれた妻に、初めて「ありがとう」と言えたのです。活動を通じ多くの人に助けられ、生来のワンマン体質も少し改まりました。

 次の課題は、各団体の後継者確保と講座指導者の育成。とくに指導者は若返りと高いレベルが必要で、私たちみんなで一層の研さんを重ねていきます。

やすい・きよし

1938年、福岡県生まれ。立命館大卒。旧松下電器入社。主に電池部門を歩き松下電子部品で常務取締役。60 歳で退社後、大学院などで傾聴を学び高齢者施設ほかでボランティア活動。京都PANA―ALC、SKY傾聴サークルなど5団体を設立して傾聴ボランティア460人を育てた。2019年、京都市社協会長賞。京都市在住。