2025.08.18
2025.08.18
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
私は雑誌社で、お悩み相談のコーナーを担当しています。ある日、専門家の先生方が集まる機会があり、とある先生にこんな質問をしてみました。
「先生は読者様に、素晴らしいアドバイスをしていますが、ご家庭の問題もうまく解決しているのでしょうね?」。すると、その先生は「妻から『他人には厳しく言えても、家の問題となるとどうなのかしら』と指摘されています」と。先生は、豊富な知識と経験をお持ちで、他人の相談には的確に応じておられます。しかし、家庭という「最も身近な場所」では、その知識が思うように通用しないこともあるのだと、改めて感じさせられました。

「わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化せぬは、あさましきことなり。宿善なくは、ちからなし。わが身をひとつ、勧化せぬものが、あるべきか。」(蓮如上人)
「身内」とは、自分の言葉や行動が、最も直接的に影響を与える存在です。外では冷静でいられるのに、家では感情が先に立ち、甘さや厳しさが極端になってしまう。あるいは、どれほど言葉を尽くしても、まったく伝わらない悲しさを連如上人は、宿業の身でおさえられました。
「私の力で相手を変えられないのだ。その前に、自分自身が仏さまの教えに出遇っているか?」と投げかけておられます。自分の思いが届かないことほど、虚(むな)しいことはありません。
「荷負群生、為之重担」
阿弥陀さまは、「あなた方の人生の重荷を、すべて私が背負いましょう。」と誓っておられます。それがわかれば、不思議と気持ちがほぐれていくのではないでしょうか。
私が中学生の頃のこと。父と母が言い争いをしていた最中に電話が鳴りました。父が相手に向かって笑顔で話し始めると、母は、「そんな優しい声、家では聞いたことがないわね」と一喝。下を向く父の顔は笑顔でした。逃げたくなった父を阿弥陀さまが背負ってくれたのでしょうね。
かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。