2025.09.01
2025.09.01
NPO法人京都がん医療を考える会 理事 清田 政孝さん
「がん患者とその家族たちの不安や悩みは、医師や病院、医療行政に本当に届いているのか」。がん医療の現場では、そんな疑問が常に付きまといます。診察室では今も、多忙な医師と話せる時間はわずかで「抗がん剤の効果や副作用を詳しく聞く間もないほど」と訴える患者さんは少なくありません。
京都がん医療を考える会は、がん医療の現場で起きるさまざまな問題を、患者・家族と医療スタッフが共に考え、国や京都府・市および各医療機関に提起して解決方法を見いだそうと、2006年に結成されました。
私は京都の企業を退職後、66歳ですい臓がんを患い、入院して手術には成功しました。ある時、「考える会」が院内で開いていた会合をのぞいたのを機に入会。13年から24年まで会長を務め、現在は理事として事務局を引き受けています。
一時、50人いた個人会員は、いま15人ほど。それでも草創期から続く府民公開講座のほか、病院外がんサロン「葉月プラナス勉強会」などを定期開催してきました。

いずれも、がんに対する知見を深め、患者同士のネットワークを広げていく試みです。がんサロンは、京都府内でもがん拠点病院内に常設され、患者・家族が悩みや、治療情報などを語り合う場になっています。「考える会」は、それらの開催支援も行っているのです。
がん経験者として私は、医師や病院任せにせず、がん医療を自分なりに研究したいと考えてきました。がん医療を政策面から考えるNPO法人「がん政策サミット」(東京・21年解散)に参加したのも、そんな動機からです。理事長の埴岡健一さんと親しくなり、誘われて埴岡さんが講義を持つ東京大公共政策大学院H―PACコースで学ぶことになったのは17年。80歳でした。
京都から新幹線で2年間通い、地域医療計画をテーマに社会人の仲間8人と研究。卒業発表もしました。さらに埴岡さんが教鞭(きょうべん)を取る国際医療福祉大大学院(東京)を受験。2年間、医療福祉ジャーナリズム学を専攻して修士になったのですが、卒論に苦労しました。文章の書き方を鍛えられ、あの経験は私の貴重な財産になりました。
16年には、デンマークで開かれた製薬会社主催の国際患者意見交換会に日本代表の一人として参加。がん経験者の立場で質問する機会を得ました。私たちのような団体に関わる者が機会を捉えて学んだり、発表することは患者本位のがん医療実現につながる道と信じています。
結成20年目を迎えた「考える会」は、会員増が喫緊の課題です。とくに男性の加入が望まれ、そのためにも会報(年4回)を充実させ、ネット利用のPRにも努めるつもりです。
きよた・まさたか
1937年、宮崎県生まれ。同志社大卒。オムロンに入社。定年退職後の2002年、すい臓がんで手術。11年、京都がん医療を考える会に入会。13年~24年まで会長。この間、東大公共政策大学院や国際医療福祉大大学院で地域医療計画などを学ぶ。会は15年、京都新聞大賞・福祉賞を受けた。京都市右京区在住。