2025.09.15
2025.09.15
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
イラストレーター・こどもみらい館館長 永田 萠
ひと夏かかった絵本の仕事がようやく終わった。文章制作は小説家の小手鞠るいさん。少年とお母さんがフランスの古城を訪れて不思議な体験をするお話で、私は毎日、お城のレンガをコツコツ描いていた。私と小手鞠るいさんは、若い日々を共にやなせたかし門下で学んだ。人気雑誌『詩とメルヘン』に、るいさんは詩を投稿し、私はさし絵を描く仕事をさせてもらっていた。
才能があるのかないのか自分でもよくわからない若い人たちに、どうして「チャンス」を与えてくださったのか?といつかやなせ先生に尋ねたことがある。するといつものお茶目(ちゃめ)な口調で言われた。「萠さん、ボクの人生で一番不幸なことは何だったと思う?」。奥さまが先立たれたことかと一瞬考え口ごもっていると、ニッコリ笑って「それはね。同時代に天才・手塚治虫がいたこと!」。そして続けて「だからボクは、売れないヒトの悲しみがよくわかるんだよ」

NHKの朝ドラ「あんぱん」を見ているとそれがよくわかる。「代表作がない」という崇さんの辛(つら)さが、若い頃の自分と重なり切なくなる。やなせたかしさんの代表作「あんぱんまん」が評価を受けるのはずっと後のことなのだ。おなかをすかせた人たちに、自分の顔を与えるあんぱんまんは、やなせたかしさんそのものだ。私は大切な「言葉」という「あんぱん」をいっぱいいただいた。「絵は絵描きの心を映す鏡だよ。萠さんはずっと京都で生活を大切にして、子どもたちのために絵を描きなさい」
あのやさしい言葉は何度も私を支えてくれた。ニューヨークで忙しい売れっこ作家暮らしをしている小手鞠るいさんと約束していることがある。いつかまた弟子2人で先生の高知のお墓にお参りしよう、と。そしてあの巨大なあんぱんまんの石像の前で手を合わせて言おうと。「やなせ先生、出会ってくださってありがとうございました。そしてたくさんのあんぱんをありがとうございました」。
ながた・もえ氏
出版社などでグラフィックデザインの仕事に携わった後、1975年にイラストレーターとして独立。2016年より京都市子育て支援総合センターこどもみらい館館長に就任。